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2008年10月31日 (金)

堀川城址

気賀経由で、浜松から豊橋に出かける。その途中、戦国時代の悲劇の城、堀川城址がある。

堀川城址の案内版によると・・・
『室町時代末期、遠江の浜名湖北岸地域は今川氏が治めていた。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで、今川義元が討死した。徳川家康の遠州侵攻に備え、土地の人々はここに城砦を築き地名にちなんで堀川城と名付けた。また、刑部(細江町中川)にも刑部城を築いた。 (写真をクリックで拡大)
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      堀川城址の碑                    都田川沿いの刑部城址

永禄11年(1568)刑部城を落とした家康は、翌12年3月27日に3000人の兵を率いて堀川城に攻め入った。男も女も戦える者およそ2000人は、全て城に立て籠もって抵抗したが、瞬く間に落城した。大久保彦左衛門が書いた三河物語には“男女共になで切りした”とある。残った人々も徹底的に捕らえられ9月9日ことごとく首を打たれた。
3月27日の戦いでおよそ1000人、9月9日に700人余、当時の住民半数以上が犠牲者となった、と伝えられている。』

9月9日に700人余が首を打たれたのは、堀川城址から南へ600メートル程のところ。その首は都田川に沿った土手に晒されたとのことで、獄門畷(ごくもんなわて)と言われるようになったと言う。

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              堀川城将志最期之地と刻まれた碑

地元住民にも多大な犠牲を強いることになった戦国時代の冷酷な家康をみたおもいであった。

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