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2010年5月11日 (火)

掛川古城跡

掛川古城跡は、現在の掛川城から500メートルほど東の子角山(天王山)にある。

先回、掛川城天守閣訪れた時、掛川古城跡があることを知り、日を改め掛川を訪れた。
 (写真をクリックで拡大)
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     子角山(ねずみやま)                    龍華院入口
     
A4_img_6413_2掛川古城は、駿河の守護大名今川氏親が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰熙に命じて 1500年ごろ子角山に築城させた。本曲輪は現在の龍華院大猷院霊屋の位置にあったという。その後、1513年には現在の掛川公園に新たに築城されたため、子角山には現物が残っていない。

この霊屋は、明暦2年(1656)掛川藩主北条氏重が幕府に願い出て、徳川三代将軍家光の霊牌を祀るために建てられたもの。
霊屋は嗣子のない氏重が断絶の打開策として建立したといわれるが、万治元年(1658)10月氏重の死去に伴い、家は断絶、領地は没収され、もくろみ通りにはならなかった。
当時の建物は、文化15年(1818)3月火災により失われ、文政5年(1822)当時の藩主太田資始により再建され、春日厨子があり霊牌を祀る。
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                   龍華院大猷院霊屋の全景
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霊屋は金や朱色に塗られた美麗な建物 
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昭和29年(1954)1月30日、春日逗子を含め、静岡県文化財に指定された。

龍華院大猷院霊屋に祀られる徳川家光は、参勤交代の制度化、鎖国体制の完成、日光東照宮の建立など幕府の絶対性の確立など政治的業績も光るが、諸藩財政圧迫など後々の倒幕の遠因をもたらした。

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