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2010年7月28日 (水)

サギソウとハッチョウトンボ

今日は暑さがいくらか和らぎ、県立森林公園に出かけた。

第七駐車場近くの湿地特別保護区では、真白なサギソウの咲く湿原をハッチョウトンボが静かに飛び交っていた。 (写真をクリックで拡大)
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                    小さなハッチョウトンボ
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   小さいので見つけるのが大変             真っ赤なハッチョウトンボ
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                       真白なサギソウ
また、第三池近くの湿地中央にサギソウが咲いていた。湿原の周りにはサワシロギク、ヌマトラノオ、ミソハギ、ノリウツギなどが見られた。
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 湿地中央に咲くサギソウ        サワシロギク            ノリウツギ
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         ヌマトラノオ                      ミソハギ

散策路脇にはトンボが飛び交っていた。
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      キイトトンボ          ハグロトンボ             シオカラトンボ

夏から秋にかけては、湿原の草花が楽しめる季節でもある。

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2010年7月26日 (月)

ヒオウギ

真夏の太陽の下、万葉の森では、「ヒオウギ」、桔梗、萩の花などが咲いている。

ヒオウギは、秋になると真っ黒く熟す。万葉集では、黒く熟した実「ぬばたま」が詠まれている。  「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜は降るとも」
(写真をクリックで拡大)
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                        ヒオウギ  
                  
万葉集の「あさがお」は、桔梗のことだろうといわれている。   
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                         桔梗

万葉集に、多く詠まれた萩(ハギ)の花も咲きだした。
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萩の花             ハスの花                蝶

万葉集に詠われた花々が、時を越えて今も美しく咲いている。

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2010年7月23日 (金)

ヒマワリ畑

炎天下に咲くヒマワリ。暑さで見物者もなかったが、豊橋市嵩山町、国道362号線(姫街道)沿いに翻る「みどりの風 嵩山」の幟に誘われ、ヒマワリ畑に立ち寄った。
 (写真をクリックで拡大)
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                 畑一面に咲くヒマワリ(展望台より)
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花の盛りは過ぎたものの、太陽に向かって咲く大輪のヒマワリは、見ごたえがあった。

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2010年7月21日 (水)

トウカイモウセンゴケ

厳しい真夏の日ざしとなった。この時季、花は少ないかと思いつつ、豊橋に行った折、葦毛湿原に寄った。

湿原のあちこちで、トウカイコモウセンゴケが咲いていた。 (写真をクリックで拡大)A1_dsc01578
                     トカイモウセンゴケの花

トウカイコモウセンゴケは晴れた日のお昼頃までしか開花しないと云う。
直径10mm弱の花がかわいらしい。
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ノハナショウブは、時季的にもう見られないと思っていたが一輪咲いていた。
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        ノハナショウブ                       ミズギク

ミカヅキグサがもあちこちで咲いていた。目をひく植物ではないが、葦毛湿原の
ような温暖な地に自生するのは珍しいと云う。
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          ミカヅキグサ                    ノリウツギ

やがて湿原では、真夏の太陽のもと、サギソウ、サワシロギク、シラタマホシクサなど白い花々が美しく咲き競うことだろう。

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2010年7月19日 (月)

津和野殿町

津和野は、江戸時代を通し城下町として発達した。関ケ原合戦の後、津和野城を築いた吉見氏は、毛利氏の萩移封に従い津和野を後にした。そして、津和野にやってきた坂崎氏は、在位16年の短期間に津和野城を改築し、城下町の骨格を形づくったという。そして、元和3年(1617)に因幡(鳥取県)鹿野城主であった亀井政矩が4万3千石の藩主として津和野に入り、以後、津和野は亀井氏11代の城下町として繁栄を続けた。

津和野川を渡り、殿町に向かうとすぐ西側に、太皷谷稲成神社の鳥居が見えた。全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記されたお稲荷さん。領民安寧のために三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したことに始まる。
(写真をクリックで拡大)
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 標高367mの三本松城址       稲成神社鳥居          稲成神社社殿
 
なまこ壁の土塀が続き、傍らの水路にコイが泳ぐ津和野を代表する殿町。
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    津和野川             なまこ壁の土塀            掘割の鯉
 

西側には津和野藩筆頭家老であった多胡家の表門・番所・土塀が残る。
さらに亀井氏時代の藩家老を務めた大岡家表門が古風な構えを残していた。門の中は、津和野町役場として使われている。
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    多胡家の表門          大岡家表門             津和野町役場

東側には養老館長屋、津和野カトリック教会等が並んでいた。養老館は、亀井氏8代矩賢が天明6年に創設した藩校。
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         藩校養老館                     津和野カトリック教会

津和野カトリック教会は、内部は畳敷きで、鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会。 昭和6年、ドイツ人ヴェケレーによって建てられたもの。
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                        教会内部は畳敷き

城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物がひときわ目を引いた。

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2010年7月17日 (土)

豊橋祇園祭

7月16日は、豊橋祇園祭の初日と聞き、急ぎ豊橋へ ・・・

東三河の夏の風物詩 豊橋祇園祭は、吉田神社の勇壮な手筒花火奉納で開幕した。
 (写真をクリックで拡大)
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     豊橋吉田神社      手筒花火発祥之地の碑     運び込まれる手筒花火

夕闇迫る頃、梅雨明け間近の空に向け、若者たちの足を踏ん張り腰に抱えた手筒から、火柱が噴き上がった。
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夜空は、手筒花火、大筒花火、乱玉花火などから勢いよく上がった炎に染まった。
降り注ぐ火の粉とクライマックスのハネの轟音に魅了されたひと時だった。
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今日、梅雨明けが伝えられた。祇園祭とともに暑い夏の到来だ。

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2010年7月14日 (水)

萩城城下町

萩は、四百年前に毛利輝元によって作られた三十六万九千石の城下町。武家屋敷と商人の住まいが残っている。
通りには、そこに住んでいた人達の職業に由来した町筋の名称があり、今でも城下町の面影をとどめている。 (写真をクリックで拡大)
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円政寺。元は、大内氏の祈願寺で、大内氏滅亡後、毛利氏が萩に築城と同時に山口より移築。寺の境内に金毘羅社があり、神仏分離令にもかかわらず今もこの形態が残っている。
伊藤博文は子供の頃一年半の間、、円政寺住職に預けられ、寺の雑用はもとより、読書、習字や、行儀作法を厳しく躾けを受けた。
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 金毘羅社の鳥居・山門        円政寺の山門           金毘羅社社殿

金毘羅社の拝殿の前に大きな赤い天狗の面がかけてあるが、天保の末年近所に生まれた高杉晋作がまだ幼かった頃、家人にここに連れて来られて、この面を見せられて物おそれしないように躾けられたと云う。
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  晋作・博文等が遊んだ木馬(神馬)             大きな赤い天狗の面

江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁などと呼ばれている小路には、青木周弼旧宅、木戸孝允旧宅、萩藩御用達の豪商菊屋家、高杉晋作生誕地やなまこ壁の土蔵、門、土塀などが並んでいる。

青木周弼旧宅
青木周弼は、現在の周防大島町の医者の家に生まれ漢方医学を学んだ。江戸でオランダ医学を学んだ後、長崎に遊学。長崎での評判を聞きつけた萩藩主毛利敬親によって召し抱えられた。平成2年、青木周弼旧宅の土蔵床下から木箱、金属箱各1個が発見された。
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    青木周弼旧宅            住宅内部         土蔵床下から一分銀

木戸孝允旧宅
木戸孝允は、天保4年(1833)6月26日、萩藩医和田昌景(石高20石)の長男として、ここに生まれた。8歳で石高150石の桂家(末期養子のため石高90石)の養子となったが、養母死亡のため実家で成長し、江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごした。
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    木戸孝允旧宅

菊屋家住宅
菊屋家は、江戸時代初期の建物で、築400年の歴史をもつ御用商人の豪邸。屋敷は常に御用屋敷としての体面整備に配慮して、屋敷建物を大切に維持してきた。
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   菊屋家のなまこ壁        菊屋家の内部        博文の洋行土産の時計

高杉晋作誕生の地
幕末に活躍した高杉晋作は、1839(天保10)年、萩藩士高杉小忠太の長男としてこの地に生まれた。1857(安政4)年、久坂玄瑞のすすめにより松下村塾に入門し、吉田松陰の生きた教えを受けた。
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       高杉晋作誕生の地


城下町萩の顔とも言えるこの一帯は、美しく静かな佇まいをみせていた。

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2010年7月12日 (月)

松下村塾

松陰神社は、JR東萩駅の近くにある。明治23年(1890)、吉田松陰没後31年経ってから建立された。本殿は、昭和30年(1955)に建てられた。敷地内には松下村塾・松陰幽囚の旧宅が保存されている。 (写真をクリックで拡大)

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         松陰神社の鳥居                 松陰神社の本殿

松下村塾
吉田松陰は安政4年(1857)実家杉家宅地内にあった小屋を改造して八畳の塾舎として更にその翌年十畳半を増築した。これが現在の松下村塾で、松陰27歳の時のことである。
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              松下村塾は小さい(8畳と10畳半の二間)

ここで松陰が教育をした期間は1年であり、実家の幽囚室時代を通算しても2年半に過ぎない。この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕運動に挺身し明治維新の原動力となった。同志の主な者は激動期に死んで行ったが、生き残った者は維新政府の中枢に立って新しい日本を指導することになった。
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        松下村塾・控の間(8畳)          松下村塾・講義室(10畳半)

吉田松陰幽囚の旧宅
この建物は吉田松陰の父杉百合之助の旧宅であるが、始め家禄四十九石余の親族瀬能家から借りたものでかなり広い。
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       吉田松陰幽囚の旧宅              幽囚された三畳半の間

松陰は伊豆下田港で海外渡航に失敗して江戸の獄につながれ、ついで萩の野山獄に移されたが安政2年(1855)許されて実家へお預けとなり三畳半一室に幽囚されることになった。
ここで父兄や近親が松陰の講義を聞き、やがて入門者が増えて私塾の形態ができるようになった。この講義は安政四年松下村塾に移るまで一年半ばかり続けられた。
松陰は安政5年、老中間部詮勝の要撃を企てたために、野山獄に再入獄される前の約1か月間、再びここに幽囚される身となった。

尊皇の大義を唱え国事に奔走した松陰の言動が当時の幕府を刺激しいわゆる安政の大獄に連座して江戸伝馬町の獄に投ぜられた。
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親思う心にまさる親こころ 今日のおとずれ何ときくらん

いよいよ処刑を覚悟した松陰が安政6年(1859)10月20日郷里の両親達に書き送った便りの中にある永訣の一首である。

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2010年7月10日 (土)

青海島遊覧

青海島は、山口県長門市の北、日本海に浮かぶ島。北長門海岸国定公園の中心に位置し周囲約40km.。長門市仙崎との間は青海大橋で結ばれている。
 (写真をクリックで拡大)
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仙崎港より高速遊覧船「ピンクシータス」に乗船、青海島の周りを一周。
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    高速遊覧船「ピンクシータス」          青海島と仙崎を結ぶ青海大橋

波静かな内海では、船の後方のデッキに出て写真撮影。外海では揺れと波しぶきをさけ、船内から日本海の荒波が作り出した奇岩の立ち並ぶ景色を楽しんだ。
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          静かな内海                 静かな内海に浮かぶ岩礁

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青海島西側の花津浦

青海島の北西端に位置するこうもり洞では、船の先端だけ洞に入った。
この後、日本海の荒波が寄せる外海へ・・・
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          コーモリ洞               外海の荒波できた黄金洞(船内から)

断崖絶壁、洞門、岩礁など迫力満点の景観が次々と迫っくる約1時間10分程度の遊覧だった。

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2010年7月 8日 (木)

秋芳洞

秋芳洞は、秋吉台の地下100m~200mにある日本最大の鍾乳洞。洞内を黒谷入口から入り正面入口に出るルートで見学した。 (写真をクリックで拡大)
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        広大な秋吉台                  黒谷隋道(黒谷入口)

洞内の観光コースは約1km、温度は四季を通じて17℃で一定し、湿度が高いので寒くはなく快適であった。
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       暗い洞内          鍾乳石と石筍             五月雨御殿
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      黄金柱          天井から沢山の鍾乳石          百枚皿

洞内より正面口を望むと、木々の緑が眩しい空間が広がっていた。
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      洞内から正面口を望む                 秋芳洞正面入口

洞内の暗い空間に広がる、不思議な自然の造形の数々に感動した。

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2010年7月 7日 (水)

梅雨空の合間をぬって

雨雲の垂れこめた梅雨空、雨が降ったり止んだりの一日。梅雨空の合間をぬって気賀の都田川堤防を散策した。 (写真をクリックで拡大)
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                    今にも降りだしそうな雲行き
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        川面に梅雨空が・・・               ひっそり小船が一艘
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   川に架かる水道橋に川鵜が二羽            少し離れて鷺が一羽

西側の堤防には、まだ紫陽花が咲いていた。
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梅雨空には、紫陽花がことのほかよく似合う。

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2010年7月 6日 (火)

山口常栄寺

瑠璃光寺五重塔からさほど離れていないところに、雪舟庭で知れた常栄寺がある。
この庭は、おおよそ500年前、大内29代政弘が別荘として雪舟に依頼して築庭したもの。後、政弘は母の菩提を弔うため寺とし、妙喜寺と称した。さらに明治になって、毛利隆元の菩提寺となり常栄寺と改められた。 (写真をクリックで拡大)
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                 臨済宗 常栄寺(雪舟庭)案内図より

総三門の奥左に勅使門、右手に鐘楼門。本堂北側には雪舟庭が広がる。
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     常栄寺総三門            勅使門               鐘楼門

雪舟庭は、幼きころ涙で鼠を描いた逸話で知られている雪舟禅師の築庭したもの。
庭は、ぐるりと囲む山林を背景として、全体にたくさんの石を配置。心字池の手前の石組みは、中国大陸の三山五嶽や日本の富士山になぞらえたものだとのこと。
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                    本堂前から見た雪舟庭
心字池には、清楚でかわいらしい黄色いスイレンの花が咲いていた。
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 富士山を思わせる石組       心字池に咲く睡蓮            聴松軒

本堂には、「駿河には過ぎたるものが二つあり富士のお山に原の白隠」と云われる白隠禅師の書を見ることができた。
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         本堂                          白隠禅師の書

本堂南側には、昭和の新石庭「南溟庭」がある。
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       本堂より南側を望む               昭和の新石庭「南溟庭」

ぐるりと囲む山林を背景にした雪舟庭の四季折々の景色はいかばかりか・・・

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2010年7月 4日 (日)

設楽原決戦場まつり

今年の春、Y社OB会ハイキングは長篠の戦い史跡めぐりであった。その折、バスの車窓から馬防柵を見た。
その馬防柵再現地で、今日7月4日、「第21回 設楽原決戦場まつり」が行われた。
 (写真をクリックで拡大)
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                        馬防柵再現地
    
ここは、最強の騎馬軍団を率いる武田勝頼軍が、馬防柵を境にして織田・徳川連合軍の足軽鉄砲隊と戦った決戦の場である。
決戦の日、5月21日は今の暦で言えば今頃だとか・・・。

馬防柵周辺では、手作り甲冑の子ども武者行列や演武の後、設楽原ゆめ太鼓、篠笛に続き、火縄銃による演武が行われた。
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    子ども達の軍勢        設楽原ゆめ太鼓             篠笛

間近で聞く火縄銃の音は大きく、シャッターを押す手もビビリ勝ち・・・
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明け方までの強い雨が、上がり、子どもたちの野外劇 火縄銃演武が始まるころには強い夏の日差しがさしていた。

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2010年7月 3日 (土)

瑠璃光寺五重塔

瑠璃光寺は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院、本尊は薬師如来。国宝の五重塔を中心とし、大内氏全盛期の大内文化を伝えるている。

室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死。弟の26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始、その完成は嘉吉2年(1442年)頃・・・。
 (写真をクリックで拡大)


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                       瑠璃光寺五重塔
瑠璃光寺五重塔は、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられている。

江戸時代の初め、毛利輝元が香積寺を萩に移し、その跡に瑠璃光寺が移ってきた。これが現在の瑠璃光寺。
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         瑠璃光寺山門                   瑠璃光寺本堂

香山公園には、大内氏24代当主(長門・周防国の守護)大内弘世の銅像、毛利家13代・敬親から15代・元昭の墓所。墓所の入口にある石段の前で、手を叩いたり、足踏みをすると前方の石段に音が反響する「うぐいす張りの石畳」がある。
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       大内弘世公の像                     毛利家墓所

寺は,山口市内を見渡せる小高い山の中腹に開かれていて,その五重塔は緑の木々に囲まれ美しい姿を見せている。

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2010年7月 1日 (木)

岩国の町

「吉川氏」が築いた城下町岩国は、今なお当時をしのばせている。

岩国のシンボルである「錦帯橋」は、岩国藩主吉川床嘉が延宝元年(1673)に造った橋。
昭和25年、岩国地方を襲った台風により、濁流に飲まれてしまったが、3年後に復元。
また、2001年から2004年にかけ木造橋の腐朽修理のため50年ぶりとなる「平成の架け替え」が行われた。 (写真をクリックで拡大)
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                 錦川に架かる錦帯橋と岩国城の遠望

岩国城は1608年、「毛利元就」の孫にあたる吉川広家(岩国藩初代藩主)が築城した山城。ところが、徳川幕府の「一国一城令」によりわずか 7年で廃城の運命を辿った。以来、山下の居館で藩政治が行われていた。
現在の城は、市民の熱意により1962年に再建されたもの。

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                       錦帯橋から撮った岩国城

錦帯橋を渡ると、城山のふもとには家老屋敷の「長屋門」など多くの史跡がある。
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   岩国藩13代藩主      岩国藩家老香川氏の表門       旧昌明館門
  吉川経健の長屋門                         岩国第7代吉川経倫隠居所             


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      吉香神社             田中穂積             佐々木小次郎
  (岩国藩主神霊を祀る)     「美しき天然」の作曲者     (母は岩国生まれとか?)  


岩国藩は、幕末に至るまで宗家(毛利家)の支藩としての悲哀を辿るが、藩内は学問や武芸の水準も高く、山陽街道の中でも特異な藩として知られているとのこと・・・。                  

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