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2011年3月31日 (木)

外国人居留地グラバー園(九州への旅-13)

ペリーの浦賀入港から5年後の安政5年(1858年)、諸外国は通商貿易を求めて相次いで来航し、幕府に開国を迫った。幕府は開国へと踏み切り、英国・アメリカをはじめとした5ヵ国と修好通商条約を締結した。翌、安政6年(1859年)、長崎は横浜・函館ともに開港、外国との自由貿易時代へと突入した。

長崎も外国の商人の住む居留地を確保するため、急いで埋め立てや造成をはじめた。グラバー園一帯は、出島等とともに外国人の居留地となった。
園内には居留地時代から現存する旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、市内に点在していた6棟の洋館を移築し計9棟の洋館があり、ありし日の面影を今に伝えている。

旧グラバー住宅は、1863年に建てられた日本最古の木造西洋風建築。グラバーはスコットランドの出身で21歳の時に長崎に来てグラバー商会を設立。幕末の激動の時代に、志士達を陰でささえた。このグラバー邸は坂本龍馬等が出入りした。
 (写真をクリックで拡大)
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                        旧グラバー住宅

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      グラバー胸像        旧グラバー住宅      旧グラバー住宅(客用寝室)


旧リンガー住宅は、幕末から明治になったばかりの頃の石造りの洋風住宅。イギリス人フレデリック・リンガーが明治時代に住んでいた。C1_ringa_h
                         旧リンガー住宅
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           居間                        応接室


旧オルト住宅は、長崎に残る石造りの洋風住宅の中で最も大きい。この家にはイギリス人ウィリアム・オルトが1864年~1868の4年間住んでいた。
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                          旧オルト住宅
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           応接室                         居間

明治32年(1899年)に外国人居留地は廃止されたが、その後も洋館は残り、長崎の街に異国情緒を醸し出していた。そして昭和45年(1970年)、次第に少なくなってきた洋館を保存しようと、旧グラバー住宅などがあった南山手の丘を整備。市内に現存していたさまざまな洋館を移築して、グラバー園が誕生した。

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2011年3月30日 (水)

満開の桜が待たれる四ツ池公園

今年も桜の開花前線は静岡からスタートしたが、浜松ではやや遅く3月28日頃とのこと。
四ツ池公園では日に日に桜の花が目立つようになってきた。この分では、満開は4月に入ってからになりそう。

一番奥の池(一番池)まわりの桜は、満開にちかいものも・・・ 
 (写真をクリックで拡大)
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                       一番奥の池
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         満開に近い桜も・・・                 飛び交うメジロ

2番池近くの散策路脇では、ドウダンツツジに花が・・・
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                                    ドウダンツツジの花
3番池周りの黄菖蒲の緑も爽やかに・・・
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                        3番池

4番池周りの桜はまだ3分咲き程度・・・。
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2011年3月29日 (火)

遊覧船いきかう浜名湖ガーデンパーク

少し暖かさも増し、春の陽気となったので、浜名湖ガーデンパークへ。

春休中とあってガーデンパークは多くの人で賑わい、水路では、遊覧船ガーデンクルーズが行き交っていた。 (写真をクリックで拡大)
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             水路に架かる石の橋と遊覧船ガーデンクルーズ
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花の美術館前の「花の庭」エリアでは、春の花々が咲き始めた。C1_dsc06387
                          花の庭
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      スモモの花            ケマンソウ             ネコヤナギ
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    スノーフレーク          ヒメリュウキンカ


百華園・草花の庭では、クリスマスローズが見ごろとなっていた。
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春爛漫の園内になるのは、いま少し先のようだ。

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2011年3月28日 (月)

長崎港遠望(九州への旅-12)

長崎は、その昔ポルトガル船が来航して以来、港中心にすべてが始った。長く鎖国が続いたけれど、唯一ここだけが開かれていた。海外の文化や文明が流れ込み、たくさんの人々が行き交ったところでもあった。  (写真をクリックで拡大)
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                          長崎港
 

長崎は造船の街でもある。港を挟んで大小の造船所が向き合っていた。
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            造船所                女神大橋(ヴィーナスウィング)
 

港には、海運会社の巨大な壁のような箱型の船が浮かび、埠頭には、豪華客船サファイア・プリンセスが接岸していた。
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         大型の運搬船               豪華客船サファイア・プリンセス
 

山手に目を移すと、建物がたち並ぶ坂の街、長崎の風景があった。
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大浦海岸通り近くには、「わが国ボウリング発祥の地」をあらわす碑や「長崎市べっ甲工芸館」がある。べっ甲工芸館は、明治時代は貿易港長崎税関の跡でもある。
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     ボウリング発祥の地の碑               長崎市べっ甲工芸館    

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2011年3月26日 (土)

春の花咲く森林公園

森林公園(浜北)の「自然観察林入口」を下ると湿地に出る。
 (写真をクリックで拡大)
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         自然観察林入口                三番池近くの湿地

湿地では、淡い紅色のショウジョウバカマが見頃となっていた。
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                       ショウジョウバカマ

スポーツ広場まわりでは、ハクモクレン、ミツバツツジ等が咲き、近くの湿地では
ハルリンドウも咲き始めた。
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           ハクモクレン                    ミツバツツジ

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                         ハルリンドウ

ハルリンドウの花が多く見られるのは、もう少し先になりそう・・・・

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2011年3月25日 (金)

ヤナギ芽吹くころ

カタクリ山からの帰り、豊橋大池公園を散策した。池畔のヤナギが芽吹き、淡い緑が鮮やか。  (写真をクリックで拡大)
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                        豊橋大池公園

桜もほころび始めていた。
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      芽吹くヤナギ        風のなびくヤナギ          開花間近の桜
池には野鳥たちが・・・・
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帰りは豊橋石巻から本坂トンネル経由浜松へ。途中本坂トンネル手前、国道362号線沿いに広がる菜の花畑で一休み。
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菜の花を摘む人が・・・
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2011年3月24日 (木)

大福寺の五色椿とカタクリ山

豊橋市石巻にある大福寺の境内に五色椿(オトメツバキ)と呼ばれる椿の古木がある。
 (写真をクリックで拡大)
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     参道脇の石仏      五色椿(オトメツバキ)        豊橋の名木説明板
    
一本の木に複数の色の花が咲き、その美しさを競いあっていた。
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寺の裏山は、西川城址として知られ、小高い山となっている。
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山の斜面にカタクリが植えられ、カタクリ山と呼ばれている。
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                        カタクリの花 

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咲き始めたカタクリの花に、大勢の人がカメラを向けていた。

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2011年3月23日 (水)

逸勢桜満開

三ヶ日市街を抜け、本坂トンネル手前に、三筆の一人、橘逸勢を祀る橘神社がある。
 (写真をクリックで拡大)
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                       橘神社


その境内にある逸勢桜(ハヤナリサクラ)が満開となっていた。
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                   満開の逸勢桜(ハヤナリサクラ)

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枝ぶりも見事なこの古木は、江戸彼岸桜だろうか。可憐な花がとてもきれいだ。

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2011年3月22日 (火)

大浦天主堂(九州への旅-11)

土産物店などが軒を連ねる坂道をあがると、大浦天主堂が姿を現す。
 (写真をクリックで拡大)
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       案内標識         多くの外国の観光客     土産物店の並ぶ坂道 
   
大浦天主堂は、フランス人プチジャン神父の尽力によって1865年に建立された日本最古の木造ゴシック造りの教会。豊臣秀吉の禁教令で処刑されたキリスト教徒・日本26聖人に捧げるために建立。正式名称は「日本26聖人殉教者聖堂」という。
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                                     大浦天主堂(日本26聖人殉教者聖堂)

入口中央に置かれている優しい顔をしたマリア像は、日本に数多くの信徒達がいたというニュースが全世界に伝えられた後、フランスから記念に贈られてきたもの。
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       日本最古の教会                   日本の聖母像           堂内のステンドグラス

隠れキリシタンたちが弾圧の目を逃れ、ここを訪れたという。
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潜伏信徒発見のレリーフ    ローマ法皇とプチジャン神父   背後からの「大浦天主堂」

美しい教会には、悲しいキリシタン殉教の歴史が刻まれていた。

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2011年3月21日 (月)

枝垂れ桜満開(万葉の森)

浜北 万葉の森公園の入口に大きな枝垂れ桜がある。彼岸入りとともに満開となり、春の訪れを告げている。 (写真をクリックで拡大)
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                  「万葉の森公園」入口の枝垂桜
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            曲水池                      枝垂れ桜


カタクリ、翁草、春欄なども開花し、園内は次第に春色に染まっていく。
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         カタクリの花                       カタクリの花

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            翁草                        春欄

隣の浜北不動寺境内のミヤマツツジも開花。
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2011年3月20日 (日)

湿原の春を探しに

彼岸に入り墓参りを兼ね、足をのばし湿原の春を探しに。
 (写真をクリックで拡大)
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   葦毛湿原入口            散策路の木道           シラタマホシクサ

   
冬の間、枯草に覆われていた湿原にショウジョウバカマがピンク色の花を覗かせていた。
イヌツゲや雑木が除去された二川テレビ中継所につながる散策路周辺には、数多くのショウジョウバカマが見られた。
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                枯草の中から姿を現したショウジョウバカマ
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        二川テレビ中継所につながる散策路周辺で咲くショウジョウバカマ

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              二川テレビ中継所のある山へ登る人?


春の訪れとともに、自然豊かな葦毛湿原の散策が楽しい季節となった。

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2011年3月18日 (金)

満開の梅にメジロ

気賀 長楽寺の本堂跡に向かう石の階段、その両側に梅が立ち並ぶ。階段は満開の梅で覆われ、見事な「梅のトンネル」となっていた。 (写真をクリックで拡大)
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                        梅のトンネル

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本堂跡地も満開の梅、その梅にメジロが飛び交っていた。
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メジロのさえずりを聞きながら、浜名湖を一望してきた。
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       長楽寺本堂跡地                本堂跡地から望む浜名湖

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2011年3月17日 (木)

白梅・紅梅満開の四ツ池公園

3月11日、三陸沖を震源に発生した「東北地方太平洋沖地震」は、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録。地震、津波と火災では多くの被災者が出ており心が痛む。また、12日の東京電力福島原発爆発の発生で、未だ最悪の事態継続中だ。
特に原発爆発対応で、東京電力と原子力安全保安院の対応は、後手後手に回り、イライラするばかり。
原子炉周りで危険を顧みず全力で取り組み作業されている方々のことを思うと頭が下がる。今日も、自衛隊のヘルコプターによる海水散布が行われたが、その効果は未だ・・・。
一日も早く、安全が確保されることを願うばかりだ。

地震発生以来、テレビにくぎ付けの毎日。久しぶりに、四ツ池公園を散策。

公園は、白梅・紅梅が満開。 (写真をクリックで拡大)
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                  白梅に続き満開となった紅梅

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           白梅                          紅梅
梅の木の根元にはタンポポやスイセン、近くにはサンシュユも咲いていた。
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        タンポポ            スイセン              サンシュユ
池にはカワセミが・・・
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帰り道には、桃の花も・・・
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明日は彼岸の入り、暖かい春の日ざしが待ち遠しい。

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2011年3月10日 (木)

春の色いっぱい浜松フラワーパーク

暖かい日ざしに誘われ浜松フラワーパークへ。

園内に一歩入ると、菜の花、真紅の梅、しだれ梅など春の色いっぱい。
 (写真をクリックで拡大)
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                      真紅の梅「鹿児島紅」
梅の花は、まだまだ、見ごろ・・・
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早咲きの桜が咲き、花から花へとメジロが飛び交っていた。
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                       美しい舘山寺桜

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福寿草の花が、斜面を黄金色に染めていた。。
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       福寿草            サンシュユ               ボケの花 

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2011年3月 9日 (水)

長崎平和公園(九州への旅-10)

長崎平和公園は、長崎駅の北東にある総合公園で、四つのゾーンがある。

長崎原爆の日に、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催される「願いのゾーン」と
被爆の史実を伝え、被爆により亡くなっ方々の冥福を祈る「祈りのゾーン」がある。

今回の見学は、「願いのゾーン」と「祈りのゾーン」の二箇所。

願いのゾーン
原爆犠牲者慰霊平和祈念式典は、「平和祈念像」の前で行われる。、「高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。」
  (写真をクリックで拡大)
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                        平和祈念像

平和祈念像の正面には「平和の泉」がある。周囲には「世界平和シンボルゾーン」として、世界各国から贈られた平和を象徴する15個のモニュメントが配置されている。
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       折鶴の塔            平和の泉          平和のモニュメント

爆心地近くの軍需工場に働く、動員学徒、女性挺身隊の中学生や女学生の冥福を祈る長崎の鐘や長崎刑務所浦上刑務支所の基礎部分の発掘遺構がある。
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           長崎の鐘                浦上刑務支所の発掘遺構

祈りのゾーン」は、原爆落下中心地区であ り、原爆落下中心碑と浦上天主堂の遺構や
被爆50周年記念事業碑(母子像)などが ある。

この地の上空500メートルで炸裂した原爆は、一瞬うちに多くの尊い人命を奪った。塔の前に置かれた原爆殉職者名奉安箱には原爆により爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の名前を奉安されている。
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                       原爆落下中心碑
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       旧浦上天主堂遺壁                   母子像
再びあの惨禍をくり返さぬ誓いをこめて、建てられた「平和の母子像」も・・・
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         平和の母子像                   平和を祈る女

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2011年3月 8日 (火)

原爆遺跡 一本柱鳥居(九州への旅-9)

ホテルから長崎平和公園へ行くバスの車窓から、原爆遺跡などを探してみた。

原爆遺跡 一本柱鳥居  (写真をクリックで拡大)
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爆心地から南南東約800メートルの高台にあり、今も貴重な原爆遺跡として残っている。
1924年(大正13)、山王日吉神社の二の鳥居が建立され、のち参道に一の鳥居から四の鳥居までが建てられていた。
1945年8月9日の原子爆弾で鳥居は破壊されたが、そのなかで二の鳥居は強烈な爆風によって爆心地側の半分が吹き飛ばされた。二の鳥居は今なお奇跡的にも一本柱の状態で建ち続けている。

浦上天主堂(昭和34年再建、55年改装)
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爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊された。投下当時、天主堂に来ていた多数の信徒は、原爆による熱線や、崩れてきた瓦礫の下敷きとなり全員が死亡。
被爆した天主堂は瓦礫などを昭和33年から撤去し整備、遺構の一部は保管・移設され、昭和34年に再建された。その後、昭和55年には、創建当時の姿に改装された。

如己堂(浦上地区の人々が、永井博士にプレゼントした家)
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永井隆博士は、浦上天主堂近くにあった長崎医科大学の助教授で、昭和20年8月9日午前11時2分、放射線研究の最中に被爆した。当時37歳、原爆投下前にラジウム放射線研究のため既に白血病を患い、余命3年と言われていた。瓦礫の中から這い上がった彼は、自分も重傷を負っていたが、医大病院の重症患者の治療に当たった。翌日、永井博士は、ようやく爆心地近くの我が家に戻る。二人の子供は、疎開させていて、妻が留守宅を守っていた。家の形は跡形も無くなっていた。台所近くに、妻と思しき焦げた小さな肉塊を見つけた。傍には彼女のロザリオが焼け爛れて残っていた。遺骨を墓へ納めて、その後再び、治療現場へ戻った。救護班を組織し、患者の治療、原爆症のカルテ整理に励んだ。
しかし、遂に力尽きて倒れ、原爆症の症状が現われた。ひとまず危篤状態を脱して療養期間が続いた。昭和21年1月、長崎医科大学教授となった。
治療と入院を繰り返したが、その後、永井博士は寝たきりになった。
昭和23年、永井博士は長崎の人々の心を癒すために、桜の苗木1000本を贈呈した。浦上地区の人々は、永井博士のために2畳一間の小さな家を建てて、プレゼントした。博士は「己の如く人を愛せ」の信条からこの家を『如己堂(にょこどう)』と名付け、二人の幼子と共に住んだ。昭和26年5月1日、永井博士は永眠する。享年43歳。

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2011年3月 7日 (月)

ホテルから眺めた長崎の街(九州への旅-8)

長崎のホテルは、街を一望できる稲佐山の中腹にあった。
 (写真をクリックで拡大)
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 TV送信塔の建つ稲佐山(標高333m)           ホテルから見える長崎港

長崎の夜景は、函館、神戸と合わせ「日本三大夜景」の一つとされるほど。
そこでホテルベランダから夜景・夜明けの街を撮ってみた。
2月25日 18:01
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2月25日 19:40(すっかり暗くなった)
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2月26日 6:20(間もなく日の出)
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2月26日 6:45
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夜景もさることながら、山の端の白むころの風情もなかなかよかった。

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2011年3月 6日 (日)

龍尾神社のしだれ梅

友に誘われて、掛川の龍尾神社「花庭園」へ、しだれ梅見物に出かけた。
(写真をクリックで拡大)
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境内の裏山一帯が広い庭園で、紅白やピンクのしだれ梅が咲き誇っていた。
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花と花の間からは掛川城が見え隠れする。
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神社は、掛川城の守護神として代々の城主が信仰してきたという。
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     龍尾神社               拝殿              本殿脇の蘇鉄

本殿脇には、山内家ゆかりの蘇鉄も見られ、山内家との縁を今日に伝えている。

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2011年3月 5日 (土)

柳川の町(九州への旅-7)

北原家は、代々柳川藩の御用達し海産物問屋だったが、父の代に造り酒屋となった。明治34年の大火で大半は焼失。この母屋だけが残り、昭和44年11月に復元された。
 (写真をクリックで拡大)
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                         白秋生家
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                         生家1階配置図

玄関を入ると直ぐに、造り酒屋を偲ばせる酒樽が並ぶ
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 店を飾る「下げもん」飾り         酒樽           茶の間(奥 勘定部屋)
白秋は、1918年に創刊した雑誌『赤い鳥』の中心的作家の一人として活躍し、「童謡」という新しいジャンルを確立。作詞家としては「城ヶ島の雨」「砂山」「あめふり」などよく知るところ。

白秋生家から5分ほどのところに、旧柳川藩主 立花邸がある。

戦国時代、豊臣秀吉の九州平定の際、豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂は、その功により、筑後13万石の城主とした柳川に封ぜられた。
その後、関ケ原の戦いで西軍に味方した宗茂は、柳川の地を追われることになる。流浪の身となった後も、一貫した潔い行動により徳川家の信頼を得た宗茂は、20年後の1620年、再び柳川藩主として復活をとげた。
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                           立花邸
元文3年(1738)、5代藩主貞俶は、政務の疲れを癒し、家族と和やかに過ごすための場所として、柳川城の南西隅に別邸を設けた。当時この辺りは、「御花畑」といわれていたことから、柳川の人々は親しみを込めて「御花」と呼ぶようになった。
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        西洋館         YAMAHAオルガン            大広間
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        和館               大広間                松濤園
明治時代になると、御花は立花伯爵家の別邸になり、14代当主寛治は明治42~43年にかけて、迎賓館としての西洋館と、それにつづく和館の大広間という、当時はやりの邸宅を整えた。同じく明治時代に整えられたクロマツに囲まれた華やかな池庭「松濤園」は、昭和53年、国の名勝に指定されている。

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2011年3月 4日 (金)

高千穂峡(九州への旅-6)

高千穂峡は、阿蘇山系の溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却したため柱状節理の素晴らしい懸崖となった渓谷。

高千穂峡の上に三段の橋の眺め、高千穂峡遊歩道へ (写真をクリックで拡大)
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     高千穂三代橋             神橋           峡谷沿いの遊歩道


渓谷に流れ落ちる日本の滝百選の一つ、「真名井の滝」
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                        真名井の滝
ボートの上から眺める滝は、さぞや素晴らしいことだろう。
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      渓谷に浮かぶボート                  柱状節理の断崖絶壁

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2011年3月 3日 (木)

阿蘇五岳(九州への旅-5)

バスは「やまなみハイウェイ」を走り、阿蘇外輪山を駆け降りる。途中次々と変わる景色に目が離せない。中でも大分・熊本の県境、瀬ノ本高原での阿蘇五岳の眺めは素晴らしかった。

阿蘇五岳(左から根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳と杵島岳)の様は、大自然が生み出した釈迦涅槃像の姿を現していた。 (写真をクリックで拡大)
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                  自然が生み出した釈迦涅槃像
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            根子岳                   高岳と中岳(噴煙部分)
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     烏帽子岳(手前は草千里)                     杵島岳

阿蘇山は、噴煙を上げる中岳火口見物がメイン。当日は、有毒ガスの発生はなく、火口に近づいて見学できた。大自然の息吹を感じる一時であった。
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                         阿蘇中岳
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         噴煙上げる火口                 グリーンの火口池

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2011年3月 2日 (水)

九重夢大吊橋(九州への旅ー4)

九重夢大吊橋は、大分県九重町の鳴子川渓谷に架かる人道橋。開通したのは2006年10月、既に入場者は600万人を超す。 
 (写真をクリックで拡大)
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                                                   鳴子川渓谷
長さは390m,河床から高さは173m。人道吊り橋としては世界一の規模。
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橋からは、大分県玖珠郡九重町から竹田市北部にかけて広がる火山群・九重連山が眺められ、硫黄山からの噴煙も見られた。
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                          九重連山
震動の滝(雄滝と雌滝)や、美しい鳴子川渓谷の雄大な景色を望むことができた。
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      落差83メートルの雌滝               落差93メートルの雄滝

この時季の景観もさることながら、紅葉の頃の絶景は、いかばかりか・・・

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2011年3月 1日 (火)

金鱗湖(九州への旅ー3)

テレビの朝ドラ「風のハルカ」に度々出ていた湯布院・金鱗湖へ。その時の印象は、辺鄙な山中の神秘的な湖だった。

訪れてみると、大勢の観光客が訪れる賑やかな湖だった。 
(写真をクリックで拡大)
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                    霧が立ち上がる金鱗湖
湖底からは、温泉と冷泉が湧き出ていて、外気温の低い日には、その温度差のために湖面から霧が立ち上がる。この日も、湖面から霧がが立ち上がり、幻想的な光景を見せていた。
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金鱗湖のすぐ近くに亀の井別荘がある。萱葺き屋根の門をくぐると、本館が見えた。
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本館はドラマ中で倉田屋旅館として出てくる旅館。
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      亀の井別荘        湯の岳庵(食事処)         鍵屋・天井桟敷

おしゃれな店が並ぶ湯布院・湯の坪街道には、レトロな人力車がよく似合う。
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          湯の坪横丁                     人力車

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