2009年11月12日 (木)

長島ダム

奥大井湖上駅附近の散策を終え、バスで長島ダムへ。
長島ダムは下流地域へ水の供給、大井川の洪水対策を目的に造られた
多目的ダム。  (写真をクリックで拡大)
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                トロッコ電車から見える長島ダム
水力発電を行わないダムとして大井川本川では唯一。計画から29年後の2001年(平成13年)に完成した。
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   ダム展望テラス             しぶき橋              接阻湖
ダム展望広場から長島ダム駅を見ると、他の車両よりもやや大きいアプト式電気機関車が次の列車にそなえ待機していた。
A1_img_4152_5 一つ手前の「アブトいちしろ」と「長島ダム」の間1.4Kmが日本一の勾配。この区間をアプト専用機関車を連結し運行している。「アブトいちしろ」から「長島ダム」へは牽引、「長島ダム」から「アブトいちしろ」へは制動の働きをしている。
 
   
長島ダムから車で15分ほどの白沢温泉附近では、ドウダンツツジきれいだった。
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途中、道の駅「フォーレなかかわね茶茗舘」で一休み。
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遠く茶畑の向こうに、SLが通過・・・
   
   

千頭駅から奥大井湖上駅までの車窓風景・・・
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    両国の吊り橋        樹間に見える大井川        車窓に広がる茶畑
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   列車のすれちがい           泉大橋        いちしろ駅でのアブト連結
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   急な登り勾配           長島ダム駅へ牽引        レインボーブリッジ 

紅葉には、少し早すぎたが秋晴れに恵まれOB会行事も無事終了。

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2009年11月10日 (火)

奥大井湖上駅

Y社OB会のハイキング同好会に参加、奥大井へ。浜松からバスで千頭駅へ。千頭からトロッコ電車で奥大井湖上駅まで移動。 (写真をクリックで拡大)
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  レインボーブリッジを渡り湖上駅へ                 奥大井湖上駅 

長島ダムの建設によって、奥大井湖上駅が誕生した。駅は2つの鉄橋(レインボーブリッジ)に挟まれたダム湖上の半島にある。
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   ひらんだ駅方面        奥大井湖上ホーム        接阻峡温泉駅方面

湖上駅には小さな公園やレストハウスのみで何もないが、美しい接阻湖が見られる。
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    小さな公園         レストハウスから見た湖上駅     対岸に見える旧線跡

レインボーブリッジには、湖上遊歩道があり歩いて渡ることができる。トンネルの上へは階段を登り、接阻峡温泉へ向かうことができる。
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   鉄橋上の歩道橋      階段を登るとトンネルの上へ   接阻峡温泉へ向う道へ  
  
今回は時間の関係で、接阻峡温泉への途中にある岩瀧不動堂までハイキング。
そこから眺めるエメラルド色の接阻湖は、とても美しく、疲れも癒された。
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     岩瀧不動堂            不動の滝         エメラルド色の接阻湖が・・・

ここからは、バスで長島ダムへ・・・。

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2009年11月 3日 (火)

古都の味

青蓮院から知恩院へ。

知恩院三門の急な石段を上がり、御影堂をお参り。五十数年前に来た小学校の修学旅行をふと思い出しながら鶯張りの回廊を一回り。(写真をクリックで拡大)
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           三門                       御影堂への急な石段
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    御影堂(本堂)           本堂内部            鴬張りの廊下

三門を出た丸山公園よりに、海老芋と棒鱈の煮物を名物とする「いもぼう平野家本店」がある。ここで昼食をとった。
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                     いもぼう平野家本店
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       平野家の内部                    海老芋と棒鱈の煮物    

素朴な料理の中に、古都伝統の味を堪能することができた。

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2009年10月31日 (土)

青蓮院門跡

先日、京都時代祭のおり、青蓮院門跡へ。
この寺には、国宝「青不動明王」があり、創建以来初めてのご開帳中であった。
 (写真をクリックで拡大)
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                     四脚門(御幸門)                    
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            薬医門                       門前の大楠

薬医門をくぐり、玄関から宸殿でご開帳された「青不動明王」に手を合わせた。
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      華頂殿               宸殿              宸殿と本堂      
小御所へ。小御所は天明の大火のおり、一時期後桜町上皇の仮内裏となったところ。
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      小御所              小御所           孝明天皇使用の輿
奥に本堂があり門主以外には見ることを許されない極秘の本尊が納められている。
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      本堂            本堂への参拝者        青不動のお前立像
青蓮院は庭園も見所のひとつ。銀閣寺の庭を手がけた庭師相阿弥が手がけた龍心池を中心とした回遊式庭園。この庭園は、華頂殿と小御所、茶室の好文亭の三方の建物に面していている。また、小堀遠州作といわれる霧島の庭がある。
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       龍心池           霧島の庭        茶室 好文亭に面する庭

青不動の強い力で、混迷の世の中を少しでもよい方向へ導いてくれると良いのだが・・・
そんな思いで青蓮院をあとにした。

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2009年4月22日 (水)

岩村の町

岩村は岐阜県恵那の山中にある小さな城下町。昨秋に続き、明知鉄道を使い岩村へ出かけた。
(写真をクリックで拡大)
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       明知鉄道(恵那)                      岩村駅
まずは城跡へ。城址のヤマザクラを見た後、石畳の道を下り、昔のままの姿で復元された「太鼓櫓」から江戸旧家群を残す本通りへ。
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   岩村城跡(六段壁)          登城坂                太鼓櫓
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                    本通りから見える山並み

本通りには商家や往時の面影をとどめて旧家が軒を連ねていた。カステーラの「松浦軒本店」と地酒「女城主」の岩村醸造は、通りを挟み向いどうしにあった。
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   カステーラの「松浦軒本店」               地酒「女城主」の岩村醸造      
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    土佐屋(染物屋)         大村邸(問屋)        浅見家・勝川家(商家)

城下町岩村の街並みは、「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれた町。
日本三大山城の一つ岩村城跡また商家、旧家が山並みと一体なり、遠い昔にタイムスリップしたかのようだった。

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2009年4月16日 (木)

岩村城址のサクラ

標高721mに築かれた岩村城。歴史を刻む苔むした石垣に映える、山桜が美しい。 
(写真をクリックで拡大)
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                    本丸跡のヤマザクラ
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   出丸からみら本丸跡       本丸跡のサクラ         若葉と花が・・・
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            本丸跡                 本丸跡から見える出丸跡
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     龍神の井            大手門付近            畳橋付近

ヤマザクラは若葉と同時に花をつけ、見た目に華やかさないが、山城によくマッチする。

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2009年4月 4日 (土)

五条川の桜

Y社OB会のハイキング同好会、次の目的地は、五条川お花見ウォーキング。あいにく現地に着くや否や雨が降り出した。
五条川西側を早足に40分ほど散策した。こちらの桜も5分咲き程度であったが、川の両岸に桜並木が延々と続く様に圧巻された。 (写真をクリックで拡大)
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                 五条川両岸に続く桜並木
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   桜まつりは4月1日から10日まで              水面を覆う桜 
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          枝垂桜                      水面を覆う桜          

平成2年には日本のさくら名所100選に選ばれている。

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2009年4月 3日 (金)

犬山城

Y社OB会のハイキング同好会で犬山市と岩倉市へ出かけた。最初は犬山城。城郭内の桜は咲き始めたばかりで残念だった。
城は現存する国宝四城、犬山城・彦根城・姫路城・松本城のなかでは、最も古い城であり、別名「白帝城」ともいわれている。 (写真をクリックで拡大)
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            木曽川南岸40mの崖の上にたつ天守
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          登郭道                      本丸門

李白の詩「朝に辞す白帝 彩雲の間・千里の江陵一日にして還る・両岸の猿声啼きやまざるに・軽舟すでに過ぐ万重の山」にちなんで命名したと伝えられている。
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       天守より南西(木曽川)           天守より北東(木曽川)
白帝城が長江沿いにあるように、犬山城も木曽川に沿って立っていることに由来。

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      天守より南方を眺める                 七曲門跡          
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     地下一階            上段の間             天守の間

木曽川河畔対岸からこの城を見上げれば、また格別の景色が眺められるであろう。

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2009年3月25日 (水)

久遠寺のしだれ桜

京都の知恩院、南禅寺と合わせて日本三大門の一つとされている身延山三門。その三門の正面に見える石段は菩提梯と言い、石段の数287段、高さ104m、三門と久遠寺本堂を結んでいる。境内には、本堂、祖師堂などの数多くのお堂やお寺がある。
(写真をクリックで拡大)
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       身延山三門                         菩提梯
      
境内に樹齢400年を超えるしだれ桜が2本がある。
1本は祖師堂の前を彩るように薄紅色に咲く大きな桜・・・B1_dsc01215

もう1本は、来客殿の前で大きな枝を支えられ咲いている桜・・・B2_dsc01268
雨に濡れて咲く桜は、ことのほか美しい・・・
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しだれ桜が満開したと聞き、早速身延へ。毎年、満開の時季を見逃していたが、念願かない、素晴らしい桜を見ることができた。

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2009年3月14日 (土)

象山神社

松代が生んだ幕末の思想家・佐久間象山に関する遺構がたくさんあるが、象山神社もその一つ。 (写真をクリックで拡大)
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鳥居(木製)                            社殿(昭和13年建立)
境内には、象山がうまれてから29年間を過ごした住居跡がある。
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         生誕地の碑                     象山宅跡
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また、象山は門弟・吉田松陰の海外密航未遂に連座して松代に蟄居を命じられた。9年間居住した高義亭などがある。




D1_img_0433_3 罪をゆるされた後、しばらくして京都に出た象山は、朝廷と幕府は力をあわせなければならないことや、今は攘夷のときではないことを公家や諸大名に熱心にといてまわった。しかし、元治元年七月、攘夷派の人たちに襲われ、波乱にとんだ生涯を閉じた。
凶刃に倒れるまでの2ヶ月間を過ごした京の煙雨楼の茶室を移築、移築保存にあたり煙雨亭と命名された。
                                                                                        

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2009年3月12日 (木)

旧横田家住宅

松代には、江戸時代の建築物が多く残っており、旧横田家住宅もその一つである。
旧松代藩横田家は、禄高150石の中級藩士で郡奉行などを努めた家である。
この住宅は他の藩士宅と同様、一種の公舎で、横田家が現在の地に移った時期は十八世紀末である。  (写真をクリックで拡大)

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屋敷は、道に面した表門、奥に主屋がある。
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       表門           式台付玄関               主屋
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   茶の間〔手前)      座敷(床の間・棚・仏壇)           かまど
主屋東隣の隠居屋と主屋南西の土蔵からなり、江戸時代末期の様相を伝えていると言う。
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     隠居屋               庭園            土蔵(二棟あり)   

茅葺きの屋根がことのほか美しく、内部も大切に管理され、国の重要文化財に指定されている。
3月初め、小雪舞う松代の町は人影もまばらで、静かにゆっくり旧城下町を楽しむことができた。

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2009年3月 8日 (日)

文武学校

長野電鉄屋代線・松代駅の南側に文武学校(旧松代藩文武学校)がある。
この学校は、松代藩が藩士の子弟に文武両道の教育をするため設置した文武学校「藩校」である。
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                       冠木門

冠木門の入ってすぐのところにある案内版によると・・・

『この学校は、松代藩の藩校として八代藩主真田幸貫が、水戸の弘道館に範をとって藩校を計画し、九代藩主幸教がこれを引き継いで嘉永6年(1853)に完成、安政二年(1855)に開校したもので、明治に入り兵制士官学校を併設したが、明治四年(1871)廃藩と共に閉校となった。
他藩の藩校と違い、儒教の教えを排除した点にある。そのため構内に孔子廟がない特徴を持つ。この学校での教育は、藩士に対し文学(学問)と武道の両道をめざし、漢学・国史・剣術・総術・柔術・弓術をはじめ、特に西洋医学・西洋砲術を教育したところに時代を先取する気風がうかがえ、後に幾多の人材を輩出している。明治六年から松代学校校舎などに使用され、正庁(文学所・御役所)・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門および槍塀などの建物が残っており、昭和48年より五ヶ年かけて保存修理と腰塀土塀などを復元施工し現在残る建物群は開校当時の姿をほぼそのまま伝えている。また建築も簡素で、近代的学校建築への過渡期と言えるものである。全国的に見てもまれな藩校の姿を伝えている。』とある。

文学所では、漢学を学ぶ教室とそれに連なる御役所、中央には炊事場、文学所の上段の間にはお殿様がいて、先生方や城の重役方は中の間に、そして教わる生徒は下段の間で勉強し試験を受ける。

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          文学所                 文学所の上段の間はお殿様の間
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   文学所の内部           文学所の内部            文庫蔵

西序では、東洋医学・西洋医学・小笠原流作法の勉強。東序では、兵学・砲術とフランス式の教典の勉強
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 西序(医学等の授業)       東序(兵学・砲術等)           槍術所
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           弓術所                    弓術所内部

めまぐるしく変化していく幕末の中にあって、八代藩主真田幸貫や佐久間象山等が将来を見据えて開校した学校であった。教育とは、静かなる革命と言われるが、まさにその一歩がここから始まったかと思える程だった。

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2009年3月 6日 (金)

海津城跡

海津城跡は、長野電鉄屋代線松代駅のすぐ横に広がる。
武田信玄の命により山本勘助が築城、真田幸隆も普請に携わったといれ、武田家の北信最前基地となる。永禄4年(1561)の川中島の合戦の際には武田信玄の本陣となり、上杉謙信と対峙。初代城将は、高坂弾正昌信。
築城当時は「海津城」と呼ばれていたが、関ヶ原の戦いの前に当時の城主森忠政が「待城」、その後松平忠輝が「松城」と改め、真田三代藩主幸道のときには「松代城」と改められ、維新まで真田氏の居城となった。  (写真をクリックで拡大)
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    前橋、橋詰門、および太鼓門                 本丸太鼓門
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      本丸跡              東不明門             海津城址之碑
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    本丸戌亥櫓跡      戌亥櫓跡より見る北不明門        北不明門    

明治の廃藩置県で廃城となり、石垣が残るのみとなったが、昭和56年に国史跡指定。平成の大普請では太鼓門や北不明門などが復元され、かつての姿がよみがえった。

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2009年3月 5日 (木)

小布施の町

小布施は、長野県の北東に位置する町。
この地には、幕末維新期、松代の佐久間象山とともに「信州三山」と称される知識人の一人、高井鴻山(桝一市村酒造場12代目・市村三九郎)がいた。
鴻山は、北信濃きっての豪農商の生まれ。江戸や京都に遊学し、絵画や漢詩など多才な才能を発揮した。31歳で小布施村に戻った鴻山の元には、葛飾北斎などの文人墨客が訪れていた。 (写真をクリックで拡大)
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       高井鴻山記念館                 高井鴻山記念館東口
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    高井鴻山肖像             翛然楼        ここで象山らと国事を論じた

鴻山は、葛飾北斎を招くためにアトリエ「碧漪軒(へきいけん)」を建てた。
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    北斎のために建てられた碧漪軒            北斎はここに滞在し絵を制作

北斎は、83歳(天保13年1842)から90歳で亡くなるまで、小布施村に再三来村し、3年半滞在。岩松院本堂の天井画の大鳳凰図をはじめ、多数の肉筆画、祭り屋台2台に天井絵の傑作を残した。
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      北斎館           鳳凰図の下絵?        祭屋台の天井絵

尚、記念館第3展示室の穀蔵には鴻山の晩年の作品である妖怪図等を展示。
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          龍と和尚                    妖怪図

妖怪図は、幕末から明治にかけて激変する社会の中で、鴻山が悩み苦悩した心中を表した作品といわれている。
巨万の財力を惜しみなく使い、幕末の変革に関わっきた高井鴻山が、日本の行く末を憂いている様がうかがえる。

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2009年3月 4日 (水)

岩松院

小布施の雁田山山麓にある岩松院を訪れた。
(写真をクリックで拡大)
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               落着いた佇まいの風景
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        山門                          本堂
Photo_2 岩松院は葛飾北斎の描いた「八方睨み鳳凰図」が残されていることで知られている。
21畳敷きの天井いっぱいに極彩色の鳳凰が描かれていて、以前は本堂に寝て見ていたという。今は、椅子に座って見るため、その迫力は伝わってこない。

(寺のパンフより引用した八方睨み鳳凰図)

     
     
 
      
本堂の裏手に福島正則公の霊廟がある。正則は秀吉の重臣で、関ヶ原の戦いでは家康につき、安芸・備後49万石の大大名となった。しかし、1619年に広島城を幕府の許可を得ずに普請したこと等により改易され、改めて信濃川中島など4万5千石を与えられた。
失意の中にあっても新田開発や治水に努め、領内の改革に取り組み、この地で1624年64歳で死亡した。
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       本堂と霊廟                     福島正則公の霊廟

岩松院を有名にしているのは、小林一茶の句。「痩せかへる、まけるな一茶、是にあり」。
春になると、裏庭にある小さな池に産卵のため数多くのカエルが集まり、雄蛙たちによる雌の奪い合いとなる。その蛙を見て、詠んだ句だと言われている。残念ながら池は工事のため見ることができなかった。

ここ小布施は、北斎、正則そして一茶が、年老いてから最後の活躍をした場所でもある。

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2009年2月23日 (月)

五箇山

白川郷と並んで世界遺産に登録されている合掌造りの里「五箇山」菅沼集落を訪れた。 (写真をクリックで拡大)
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庄川が蛇行している河岸段丘にあるこの集落は、雪に覆われ、墨絵の世界を見ているような景色だった。

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2008年12月19日 (金)

岩村城址

過日、恵那駅から明智鉄道に乗換、岩村駅下車。のんびり岩村城登城口から本丸までの道のりを歩いてきた。
岩村城は別名霞ヶ城といい、天然の地形を活用した要塞堅固な山城。海抜721mに位置し、全国の山城の中で最も高地にあり、奈良県の高取城、岡山県の松山城と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城だ。 (写真をクリックで拡大)
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                                               本丸の六段の石垣
山城のため天守閣はなく、城内の要所に11の櫓又は櫓門があって常時各方面を監視していた 。
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      岩村城址板                          本丸の様子
敵が攻めて来た時、土や石で門を埋めてしまうこともできる埋門。
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           本丸東門                          本丸埋門
険しい急坂は、岩村城守備の前衛の役を持ち、戦争となるとただちに門を構え、柵をめぐらし強固な防衛陣地とした。
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        藤坂                土岐門               畳橋

建物は明治維新により廃城され、後明治6年(1873)に取り壊され、現在では石垣のみを残す岩村城址となっている。

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2008年12月 9日 (火)

妻籠宿

過日、古くから交通の要所として栄えた五街道の一つ中山道・妻籠宿を訪ねた。
(写真をクリックで拡大)
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    妻籠宿風景        最も古い建物・上嵯峨屋     謀反に備えた枡形

妻籠宿本陣
本陣は代々島崎氏が勤めていた。最後の当主だった藤村の兄、島崎広助が東京に出たため明治20年代に建物は取り壊され、現在の建物は1995年建築のもので、江戸時代の間取り図をもとに忠実に復元されたものと言う。
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           妻籠宿本陣                     本陣全景
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       敷台            玄関の間               上段の間
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      三の間               東の間              台所
 
妻籠宿脇本陣は屋号を「奥谷」といい、代々林氏が務めてきた。明治10年に総檜造りで立て替えられたのが現在の建物。
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    奥谷脇本陣            囲炉裏の間            上座の間

妻籠宿は、当時の面影を残し、懐かしさと郷愁を感じさせる情緒いっぱいの風景であった。

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2008年11月26日 (水)

長寿寺

湖南三山、長寿寺を最後に訪れた。当寺は、奈良時代後期に聖武天皇の勅願により創建されたと言われている。 (写真をクリックで拡大)
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            山門                        本堂に続く参道
国宝の本堂に続く参道は美しい紅葉で覆われていた。
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       参道を覆う紅葉                       参道を覆う紅葉
                                                                          
本堂では、老僧が寺の建築様式や変遷を面白おかしく説明された。
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                       本堂(国宝)
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       老僧               鐘楼             弁天堂(重文)

老僧の話では、木造寺院に関心のある欧州の研究者が訪れ、日本人以上に豊富な知識があることに驚かれていた。貴重な文化財を大切にしたいものだ。

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2008年11月25日 (火)

常楽寺

湖南三山のうち、次に訪れたのは善水寺と同じ奈良時代に創建された寺、天台宗の常楽寺。紅葉に彩られた佇まいはいっそう趣を増し、印象的だった。 
(写真をクリックで拡大)
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      山門             山門の奥の紅葉         寺を守る仁王様
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 本堂と三重塔が並ぶ         境内の紅葉               鐘楼
本堂と三重塔は国宝に指定されていて、ともに室町時代初期に再建されたものと言う。
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                      本堂前の紅葉
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                         国宝の三重塔
本堂と塔の周囲の裏山には、近江西国観音石仏三十三体が祀られている。
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寺宝の数々・・・
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                    二十八部衆                       釈迦如来

湖南三山は、湖東三山と違い静かな雰囲気のなかで紅葉を楽しむことが出来た。

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2008年11月24日 (月)

善水寺の紅葉

湖南三山の一寺、岩根山 善水寺を訪ねた。
天台宗の寺で奈良時代中期、和銅年間(708-714)に国家鎮護の道場として建立されたと言う。 (写真をクリックで拡大)
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宮殿風の趣をもつ荘厳でどっしりした構えの本堂は、国宝に指定されている。

境内の美しい紅葉にうっとり・・・
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桓武天皇の病が寺の清水で治った縁によって善水寺の寺号を賜ったという。
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    善水寺と善水の由来の碑                   霊水場

織田信長の兵火の時も唯一消失を免れ、数多くの仏像が安置されていた。

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2008年11月19日 (水)

定光寺の紅葉

名古屋金山駅からJR中央線に乗換、30分程で定光寺駅に。山肌のすぐ近くを流れる玉野川沿いに、へばりつくように造られた無人駅である。 (写真をクリックで拡大)
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         玉野川                         定光寺駅ホーム

駅から徒歩20分で定光寺公園に至る。
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    定光寺公園           公園内の紅葉             四季桜
県道を挟んだところにある石造りの橋を渡り長い石段を上がると、定光寺境内へ続く。
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室町時代の様式を残す「無為殿」、儒教様式で作られた尾張藩祖徳川義直公が眠る廟などがある。
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                       無為殿
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        無為殿脇の紅葉                   無為殿脇の紅葉 
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       徳川義直公の廟所                    廟への石段

境内は、紅葉は真っ盛りで見ごたえがあった。

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2008年11月12日 (水)

城址の紅葉

東濃恵那岩村に日本三大山城のひとつ岩村城がある。昨日(11月12日)800余年の歴史を刻んだ城址へ出かけた。 (写真をクリックで拡大)

静まりかえった本丸跡には、美しく紅葉が映えていた。今まさに旬。
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                    岩村城址本丸跡①

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      本丸石垣上の紅葉                   埋門付近の紅葉①    
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      埋門付近の紅葉②                  本丸跡の紅葉②
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        霧ノ井前の紅葉                    三重櫓近くの紅葉

後日、海抜721mの山頂に残る山城の見事な石垣の画像をアップする予定。

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2008年11月 9日 (日)

付知峡

付知峡は、岐阜県中津川市にある峡谷で、木曽川支流、付知川に位置する。岐阜県を代表する紅葉の名所して知られている。

紅葉で染まった渓谷は、感嘆するほどの美しさだった(11月6日午後)。 
(写真をクリックで拡大)
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周辺の山々は夕日に映え、渓谷美をいっそう際立たせていた。

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2008年9月28日 (日)

巾着田の彼岸花

彼岸月になり、彼岸花の感心も高まり、パソコンで検索する際「彼岸花」と一緒に入力した地名で最も多かったのは「巾着田」だと言う。
この情報にのせられ、「巾着田」に行ってみた。 (写真をクリックで拡大)
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着いてみると、見事な彼岸花が雑木林の中に広がり、まるで真っ赤な絨毯を敷き詰めたかのようだった。赤い曼珠沙華と白花曼珠沙華のコントラストが実に美しい。
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巾着田には、この時期コスモスも植えられていて、見頃だった。
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巾着田は、埼玉県日高市高麗川流域で、大きく蛇行する川に囲まれた約22ヘクタールの休耕田である。菜の花やコスモスなどさまざまの季節の花が咲き、彼岸花の時季には、100万株を超す曼珠沙華が咲くと言う。

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2008年7月28日 (月)

彦根城

過日、国宝・彦根城に出かけた。
幾度も名神高速から遠く彦根山頂のお城を見ていたが間近で見学するのは初めてだ。  (写真をクリックで拡大)
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                  玄宮園からみた彦根城

御殿跡から本丸への登城道は、切石を敷いた程よい石段がある。
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   佐和口多聞櫓と掘         登城道(表坂)          廊下橋と天秤櫓

左右石垣の積み方の異なる天秤櫓の城門
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        天秤櫓の城門                      天秤櫓門(内側)

太鼓門櫓は、本丸への最後の関門だ。
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   太鼓門櫓門(内側)            時報鐘            城内からの眺め

彦根城は、国宝に指定された現存天主のある4城(姫路城・松本城・彦根城・犬山城)のうちの一つだ。
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  太鼓門櫓門からの天守        天守閣入口             天守閣
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     天守内部              天守内部           天守からの眺め

美しい玄宮楽々園は、古城の下にある。
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      玄宮園             玄宮園 臨池亭         槻(けやき)御殿

名勝玄宮園から仰ぎみる天守は悠久の歴史を感じさせてくれた。

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2008年4月19日 (土)

吉水神社

蔵王堂を後に、しばらく行くと左手に吉水神社の鳥居が見えた。桜舞う坂道を降り、山門を入ると右手に「一目千本」と言われる絶景の場所が・・・。ここから見える中千本、上千本の桜に暫し時を忘れた。 (写真をクリックで拡大)
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   吉水神社鳥居            桜舞う・・・         一目千本からの眺め  

元々、吉水神社は金峯山寺の僧坊で、吉水院と呼ばれていた。
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ここに、源義経、静御前、弁慶らが兄頼朝の追討を逃れ、身を隠していた所とは・・・。「義経潜居の間」「弁慶思案の間」等の数々の遺物の見ることが出来た。
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       義経潜居の間                      静御前の衣裳等
      

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        義経の遺物                         弁慶の遺物

またその約150年後の南北朝時代に、京都を免れた後醍醐天皇が吉野に入り、南朝の行宮とされ歴史の大舞台となった所でもある。
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                    後醍醐天皇玉座

豊臣秀吉の世には、ここで盛大なる花見の宴を催し、天下にその権勢を示したと云う。
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   秀吉花見の本陣         秀吉愛用の金屏風        秀吉愛用の金屏風       

往時の状況は、現存する建物や数々の遺物を見る時、南朝の哀史とは対照的に、絢爛たる文化が偲ばれ感無量なものがあった。

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2008年4月18日 (金)

吉野山

南北朝時代、南朝の舞台となった吉野山。
既にシロヤマザクラは、下千本から中千本へ山をはい上るように咲き誇り、豪華な絵巻を繰り広げていた。桜吹雪の中、路を進ていくと、他の桜の名所とは異なる雄大な風景を醸しだしていた。 (写真をクリックで拡大)
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     下千本の桜        金峯山寺総門(黒門)           銅の鳥居
 
たまたま、今年は、後醍醐天皇の皇子で、鎌倉幕府打倒に尽力した護良親王生誕700年に当たる。金峯山寺本堂、蔵王堂奥殿では、700年祭として南朝所縁の寺宝や文書を春の観桜期に併せて、特別展示していた。
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     金剛力士像           仁王門(国宝)            金剛力士像
  
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                      金峯山寺蔵王堂
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    蔵王堂正門              蔵王堂                蔵王堂内
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           蔵王堂右手の愛染堂                        蔵王堂左手の天満宮

また、吉野にはその桜に惹かれて、古くは西行法師や、松尾芭蕉が訪れ、多くの歌を残している。

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2007年12月 9日 (日)

伊豆高原と修善寺

初めて伊豆高原・修善寺へ出かけた。
城ケ崎海岸に架かるつり橋へ。橋からは、コバルトブルーの澄んだ海と波にあらわれる岩礁が見え、素晴らしい景観であった。紺碧の海のかなたには伊豆の島も見えた。  
(写真をクリックで拡大)
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  波にあらわれる岩礁            吊橋            海に迫出した岸壁

次に、源氏興亡の哀史の舞台となった、修善寺へ移動。
桂川沿いに広がる修善寺の街を横目に、修善寺温泉発祥の寺「修禅寺」を参詣。
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    修禅寺山門              修禅寺本堂            修禅寺本堂

門前の虎溪橋を渡ると指月殿 (源頼家の冥福を祈った指月殿 )。中央に丈六釈迦如来像が安置されていた。持物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴という。境内には、頼朝の死の後、家督を継いで鎌倉二代将軍となった源頼家の墓があった。
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       指月殿           丈六釈迦如来像            頼家の墓
(頼家は23歳という若さで、北条時政の密計により、修禅寺門前の虎溪橋際にある箱湯で暗殺)

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夕日の落ちるころ、桂川沿いに続く竹林と紅葉を川のせせらぎを聞きながら帰路についた。

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2007年11月29日 (木)

東京ディズニーランド

1歳8ヶ月の孫娘のおともで、久しぶりに「東京ディズニーランド」へ出かけた。息子たちが小さい頃は幾度もディズニーランドへ連れてきたものだ。息子も親となって、わが子にも楽しい思い出を残したいのだろう。 (写真をクリックで拡大)
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クリスマスも間近で楽しいパレードはクリスマス・ヴァージョン。何度見ても飽きないものだ。
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次から次へと登場するディズニー・キャラクター達が夢の世界へ誘ってくれた。孫と一緒の2日間、ディズニーランドで幸せなひと時を過ごすことができた。

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2007年11月 7日 (水)

湯殿山

訪れたのは、半月程前、山の木々が少し紅く染まりはじめた頃だった。
大鳥居からは、バスに乗り換えて参拝。 (写真をクリックで拡大)
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バスの終点からは、石段の参道。この辺りから、参道に「撮影禁止」の文字が並ぶ。神域・霊場・霊域ということで、この先は、撮影禁止であった。
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本宮に到着すると、まず、裸足になるように言われ、受付で、お守りと人形(ひとがた)をいただき、御祓いを受け裸足のまま、奥へ進むと、いきなりご神体があった。ご神体は黄褐色の巨石で、その上を温泉が流れており、裸足には、心地良かった。
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「語るなかれ」「聞くなかれ」という、神秘的な山も11月初めで閉山とのことだ。

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2007年10月24日 (水)

出羽三山神社

山寺(立石寺)参拝の前日、出羽三山神社を訪れた。
神社の島居前に着いたのは、日が沈みかけたころ。急いで随神門をくぐり杉が林立する下り坂の参拝参道を進み、祓川に掛かる赤い神橋を渡った。右に祓川神社と須賀の滝が見えた。 (写真をクリックで拡大)
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      表参道島居                          随神門

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       祓川に掛かる神橋                      須賀の滝  

少し進むと左に天然記念物に指定されている爺杉(樹齢1000年以上)と,国宝の五重塔(平将門が1060建立)が表れた。
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      爺杉(樹齢1000年以上)             国宝の五重塔(平将門建立)

さらに参道を1.7Kmほど進めば、頂上に出るのだが、今回は、島居まで戻り、バスで羽黒山頂上へ。山伏に案内され赤い島居をくぐり三神合祭殿へ進み参拝。
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       山頂の赤い島居                         山伏

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          三神合祭殿                   鐘楼と建治の大鐘


資料によると、
赤い島居をくぐると、国指定重要文化財の三神合祭殿がある。茅葺木造建造物として日本では最大の大きさを誇り、月山、羽黒山、湯殿山の神々が祀られている。度重なる火災にあったが現在の社殿は文政元年の再建である。・・・・
鏡池の東側に建つ切妻造り茅葺の建物が鐘楼である。最上家信の寄進によって元和四年に再建された。鐘は建治元年の銘があり、古さと大きさで日本有数の古鐘であり、鐘楼と共に国の重要文化財に指定されている。

とある。

参拝を終えた頃は、すっかり夜のとばりが降りて、深閑とした雰囲気が漂っていた。

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2007年10月16日 (火)

山寺

山寺(宝珠山立石寺)に出かけた。
登山口を登るとすぐに豪壮な建物の前に出た。ブナ材の建築物としては、日本最古の重要文化財の根本中堂だ。少し進むと、芭蕉と曾良のブロンズ像。その間に「閑さや・・・・」の句碑があった。 (写真をクリックで拡大)
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           根本中堂                   芭蕉像 

山門を入り、いよいよ参道へ。山門から初めてのお堂は小さな姥堂。堂には、三途の川で死者から着物を奪い取る奪衣婆が安置されており、姥堂から下は地獄、上は極楽口にあたるとのこと。
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            山門                             姥堂

参道を進むと岩に刻まれた岩塔婆があちこちに見られ、死者の霊が帰る山として、信仰の深さを物語っていた。
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        参道           弥陀洞と仁王門              百丈岩

参道脇の弥陀洞を拝し、目の前の仁王門へ向かった。さらに急な石段を登りつめた所に、奥の院があった。
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       弥陀洞              仁王門                奥の院

奥の院をあとにして、胎内堂を眺め、右手に進むと百丈岩の上に建つ納経堂、開山堂、五大堂に出た。
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       胎内堂        納経堂・開山堂・五大堂            開山堂

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   五大堂からの眺め          五大堂             五大堂左側から 

五大堂からの眺めは素晴らしく、急ぎ参拝してきた疲れを癒してくれた。

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2007年8月23日 (木)

明神池

4年前に続いて2度目の上高地だ。今回は明神岳麓にある、明神池を目指した。   (写真をクリックで拡大)
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河童橋から梓川上流に向かって右岸の散策路(林の中)を歩き続けた。

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散策路の脇には、苔むした枯木が重なるように横たわっており、谷川は澄み切った音を立てながら流れていた。歩を進めること70分程で明神池に着いた。

明神池は穂高神社奥宮の神域にあり、原生林と明神岳の山麓に囲まれていた。G3_r0010676 G_dsc06119_4

透明な水をたたえた、一の池と二の池は、静かな別世界であった。
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         明神池一の池                一の池にすむマガモとイワナK_dsc06125 L_dsc06126_2
     神秘的の明神池二の池               箱庭を思わせる二の池

あいにくの天気になり、明神池でゆっくりする暇もなく池を後にした。

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2007年4月30日 (月)

白壁土蔵のまち

4月中旬、鳥取県倉吉の古い町並みを観光してきた。平成10年ごろより「白い土蔵」を有効に活用・整備し、集客の活性化を図ってきたという。 (写真をクリックで拡大)
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     伝統的建造物保存地区                 古い商家の町並み   

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    郷土玩具の工房         高田酒造母主屋        桑田醤油醸造所

1時間足らずの散策であったが、白壁土蔵群や商家の町並みに古の面影を見ることができた。

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2007年4月18日 (水)

投入堂参拝

1300年ほど前に建てられたという、国宝三徳山・投入堂の参拝に出かけた。
前夜は雨、当日朝も雨で入山禁止。あきらめていたところ出発直前になり雨も上がり登山許可。トレッキングシューズに軍手、動きやすい服装で身を固め修験者参道に挑戦。
(写真をクリックで拡大)
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      三佛寺本堂         登山口の宿入橋            カズラ坂
   

宿入橋」から登り始め、木の根が入り組んだ「カズラ坂」を注意深く歩を進めること30~40分、岩上の舞台作りの「文殊堂」に辿り着いた。お堂の縁を一巡、空中散歩気分。木々の新緑が疲れを癒してくれた。
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                      岩上に建つ舞台作りの文殊堂

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   文殊堂からの眺め         木々の新緑             鐘楼堂

しばらく休んで、大きな岩場を移動し「鐘楼堂」へ。鐘をつき安全を祈る。

更に「馬の背」「牛の背」という岩場を手足の神経をフル稼働し恐る恐る歩を進めると、突然、「投入堂」が姿を現した。
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それは、人智を超えた建築物の見事な絶景であった。麓で組み立てたお堂を役行者が神通力で投入れたという伝説が今もなお語られ続けられるのも宜なることと思われた。

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       納経堂              観音堂               不動堂

下りは上り以上に厳しく、雨上がりの岩に足をとられたり、木の根につまずいたり、尻餅をつきお尻を強打したりしながらも、やっと登り口まで戻ることができた。修験者の歩んだ道は、かくも厳しいものだったかを思い知らされた。

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2007年3月10日 (土)

月ヶ瀬梅林

三重との県境に奈良県の三大梅林として知られる「月ヶ瀬梅林」がある。
月ヶ瀬の中央には五月川が流れ、両岸に梅樹が立ち並ぶ。 (写真をクリックで拡大)
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            五月川                       帆浦梅林

五月川沿いの山に月ヶ瀬梅林がある。細い坂道を歩いていくと周辺は梅がいっぱい、
梅の木の間から眺める五月川の流れは、しばし時を忘れさせる。

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       姫若の梅                     

近くの真福寺境内には月ヶ瀬梅林の始まりと云われる「姫若の梅」と言う古木があった。この時期まだまだ美しい梅が楽しめそうだ。

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2007年3月 8日 (木)

お水取り

古都に春の訪れを告げる奈良・東大寺のお水取りに出かけた。前日までの暖さが、一転して真冬に戻り、寒さが身にこたえる一日であった。
陽の落ちかけた奈良公園を南大門より大仏殿・大鐘を横目に2月堂へ。途中可愛い鹿の出迎えをうけた。 (写真をクリックで拡大)
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午後7時、二月堂の舞台に10本のたいまつが次々に登場。火の粉が欄干から降り注いで闇を照らすさまに感動した。
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お水取りは、752年以来途絶えたことがなく、今年は1256回目。同寺とその末寺から選ばれた練行衆(こもりの僧)11人がたいまつを道明かりに二月堂へ上り、人の世の罪深さを本尊の十一面観音にわび、平和と安寧を祈るとのこと。無病息災をもたらすたいまつの火の粉をあびる為、沢山の人達がお堂の下に陣取っていた。

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3月1日から3月14日まで行われるお水取りが終わると、いよいよ春だ。

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2007年2月22日 (木)

河津桜

今年の春は早いと聞き、河津桜を見に伊豆へ一直線。
東伊豆の稲取で昼食。この地方に見られる雛のつるし飾りを見ることができた。その由来は愛する子供や孫の為に手作りの雛飾りで初節句を祝おうという、切ない親心から生まれたそうだ。 (写真をクリックで拡大)
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     雛のつるし飾         静かな稲取の海          釣りを楽しむ人

河津桜の原木は、伊豆急河津駅から天城方面に向かって1.3kmの地点あった。
最近は車の排気ガス等で弱ってきているとのこと。
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        川沿の満開の桜                    河津桜の古木

カワヅザクラ(河津桜)と命名されたのは、約30年ほどからで、早咲きで2月上旬から花を咲かせ、開花時期は、ほぼ1ヶ月間の長期間にわたり咲くことから、ブームになったようだ。
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    菜の花とのコントラストが美しい             淡いピンクの花びら

桜見物の人達の喧騒にも驚かず桜の花に「メジロ」が飛び交い、河津川に白い鳥が羽根を休めていた。
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       メジロが桜の蜜を・・・                   河津川の鳥

 

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2006年12月 1日 (金)

鞍馬山

義経が鞍馬寺に預けられ、兵法、剣術を稽古、修行した鞍馬山を訪れた。(11月27日)
叡山電鉄鞍馬線に乗って鞍馬駅へ。駅に近づくにつれ線路の勾配は少しずつきつくなり、車窓からは紅葉が歓迎してくれた。
駅を出ると鞍馬寺の「仁王門」が見えた。ケーブルもあったが、歩いて上がることにした。
仁王門をくぐり、坂道をのぼるとすぐに鞍馬の火祭りで有名な「由岐神社」へ。
(写真をクリックで拡大)
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くねくねと曲がる坂道、九十九(つづら)折り参道が終わり、石段を上がると鞍馬寺の「本殿金堂」があらわれた。
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本殿金堂の左手から石段を一寸上がった場所に「霊宝館」があり、数多くの文化財が
保存展示されているとのこと。しばらく歩くと、「源義経公背比石」が柵の中に置かれていた。
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背比べ石から、道はいっそう細くなって下りとなった。曇天のうえ、この辺りは鬱蒼と茂る杉の大樹に囲まれていて、一層暗い感じがした。道なりに原生林を数分進むと、突然、道が開け、平場となり、「不動堂」が現れる。この辺り一帯は、僧正が谷と呼ばれ、鞍馬山での義経伝説の発祥地のようだ。不動堂から十数分歩くと「奥の院魔王殿」に。
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さらに険しい山道をしばらく下り鞍馬寺西門に出た。

貴船川沿いを上り貴船神社へ。ここは男女の中を守る神(また悪縁を良縁に転ずる神)として信仰されているためか、若い女性が多く見られた。
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鞍馬山は険しい山道であったが、美しい自然にはぐくまれ、すがすがしい一日を過ごすことができた。

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2006年11月 7日 (火)

日本三景 松島

みちのく二日目の旅の締めくくりは、宮城県仙台市太白区にある秋保大滝(あきうおおたき)だ。
「日本の滝100選」に選ばれ、国の名勝に指定されている。轟音をたてて流れ落ちる様は豪快。
(写真をクリックで拡大)
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        秋保大滝         秋保大滝不動尊       二日目の宿 佐勘

3日目のスタートは松島湾めぐり。天気に恵まれ、湾内の景色は素晴らしかった。
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   海から見た五大堂        鎧島(よろいじま)        兜島(かぶとじま)

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       湾内の島            湾内の島            湾内の島
 
3日目の最終は伊達家の菩提寺である瑞厳寺を拝観。
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      参道           参道脇の洞窟と仏像            中門

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         本堂(国宝)                 御成門(国重要文化財指定)

初めてのみちのく旅、楽しく過ごすことができた。次回は今少し的を絞った旅にしたい。

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2006年11月 3日 (金)

中尊寺

みちのく、2日目後半は平泉・中尊寺へ向かう旅だ。

中尊寺は850年、天台宗東北大本山。山号を関山といい慈覚大師によって開かれた。
そして12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代清衡公が前九年・後三年の合戦という東北地方で長く続いた戦乱で亡くなった人々の霊を慰め、仏国土を建設のため、多くの堂塔伽藍を造営した。
争いのない平和で平等な社会を作りたいとを願っていた藤原清衡公を思い、境内を見学した。
(写真をクリックで拡大)
拝観のスタートとなる月見坂と藤原三代の霊廟であり、中尊寺の信仰の中心・金色堂
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    月見坂の上り口         金色堂新覆堂          金色堂(HPより) 

経堂、新覆堂建設の際、現在地に移築された旧覆堂そして法要儀式が行われる本堂
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      経蔵              金色堂旧覆堂                         本堂

平泉で非業の最期を遂げた源義経と弁慶の木造が安置されている弁慶堂と1343年に鋳造された梵鐘を収めた旧鐘楼
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       現在の鐘楼            旧鐘楼                               弁慶堂

金色堂の脇に建つ芭蕉の「五月雨の降のこしてや光堂」の句碑。   
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         松尾芭蕉の象                                                    句碑

きわめて限られた時間のため、十分見学できなかった。何時の日か再度ゆっくり訪れたいものだ。

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2006年10月26日 (木)

八幡平

旅二日目の前半は、八幡平アスピーテライン経由して八幡平山頂(標高1,613m)の散策だ。
(写真をクリックで拡大)
途中の紅葉はピークを過ぎたのかイマイチの感じだ。
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八幡平の西の少し開けた地にある、その湿原と大沼。湖を周回するように、木道が整備されていて、車窓からも人の姿が見えた。人の手は余り入っておらないようだ。
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玉川温泉の湯元の2本の湯煙が良く見えた。この温泉は、地元のマタギによりに発見され、明治17年に湯治場として開かれたという。
今は、「癌治療に効果がある温泉」と宣伝されて有名になった。日本で最も酸性の強い温泉とのこと。寝泊りしながら温泉入浴や岩盤浴をしている人たちがいるという。
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八幡平山頂からは、美しい岩手山。岩手県最高峰(2,038m)の雄姿が見えた。この山は南部富士・岩手富士・巖鷲山等幾つもの愛称をもており、それだけ大切で、親しまれたお山なのだろう。
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岩手山のすぐ横側に、日本海側秋田県と山形県の県境にある独立峰・鳥海山が美しい姿を見せてくれた。
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八幡平の山容は、平というだけあって山頂もほぼたいらで広々とした高原というようなイメージだった。
だが、アスピーテライン、樹海ラインから見られる原生林、湖沼群、そして雄大な稜線を見せる岩手山と雲海の織り成す景観はなんとも格別ですばらしかった。

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2006年10月23日 (月)

奥入瀬渓谷と十和田湖

新幹線八戸駅より、美しい十和田市のシンボルロードを通り、奥入瀬渓谷から十和田湖へ。
奥入瀬渓谷へ入るころより雨がが降り始めた。石ケ戸休憩所でバスを下車し散策。
更に銚子大滝付近を暫らく散策。 (写真クリックで拡大)
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      石ケ戸             石ケ戸の瀬           阿修羅の流れ

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       数々の美しい滝                    銚子の大滝

十和田湖は子の口から遊覧船に乗り、湖上より海抜400mの美しい湖の景観を楽しみ、休屋で下船。
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   遊覧船より見える湖岸の紅葉                  休屋の景観

宿泊先の湯瀬温泉に向かう途中、展望の峠として東北随一の名所と云われる発荷峠で、夕闇迫る神秘的な十和田湖を見ることができた。
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  発荷峠の展望台から見た十和田湖              湯瀬渓谷

静かな十和田湖の湖水の美しさに対し、子の口から流れでる奥入瀬渓流は、奔流となり苔むす岩を洗い、あるときは瀬を速み、あるとき淵に淀み、途中では多くの滝をむかえ入れる等、様々に変化する水の流れに躍動感を覚えた。
渓流沿いの、ところどころには、枯木が横たわり、朽ち果てた幹が、新しい生命の再生に役たっていた。奥入瀬渓流に展開する老・壮・青の調和した自然の営みに感動した。

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2006年10月20日 (金)

フェリーの旅

20時間ほどのフェリーの旅を楽しんだ。2005年就航したばかりの太平洋ファリー「きそ」へ初めて乗船した。
奥入瀬渓谷・八幡平・中尊寺・松島への旅行の帰路、仙台港から名古屋港までの船旅である。

(写真をクリックで拡大)
船内ラウンジでのピアノとベースの生演奏
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すれちがう姉妹船の「きたかみ」
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真っ赤な洋上の夕日
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名古屋港横断三大橋(名港トリトン)の一つ、「名港西大橋」
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八戸を起点に東北を南下した仙台までのバス旅行は別ページに記す。

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2006年9月13日 (水)

オミナエシ

秋の七草の一つ、オミナエシは今が一番美しい。秋の日差に映え黄色い花が眩しい。
(写真をクリックで拡大)
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信州は御岳ロープウェイ麓駅前の一こまです。

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2006年9月 1日 (金)

御嶽山

夏の終わり、信州を旅してきた。
御岳ロープウェイの麓のお花畑では赤い蕎麦の花が秋風に揺れていた。
(写真をクリックで拡大)
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15分かけロープウェイの山頂駅(標高2150m)へ。
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そこは肌寒さをおぼえる秋の気温だった。高山植物は盛りを過ぎていたが、見たこともない珍しい草花を楽しむことができた。
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開田高原・木曽馬の里では白い蕎麦の花は実を結ぶ頃となり、近づく秋を実感した。牧場では小柄な木曽馬がのんびりと牧草を飯でいた。
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秋間近の高原でゆっくり一日を過ごすことができた。

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2006年7月 5日 (水)

東京ディズニーシー

2歳半の孫とともに初めて「東京ディズニーシー」へ出かけた。
子供が小さい頃「東京ディズニーランド」へは数回訪れたことがある。テーマ館に入るのに長時間待ったこと、待つだけで疲れてしまったこと等、脳裏をよぎった。
ところが、「東京ディズニーシー」はそれほど広くなく、ミッキーの住むファンタジーの世界とは違い、中世のヨーロッパの港町の感じであった。そのテーマは「冒険とイマジネイションの海」とのこと。 (写真クリックで拡大)

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夜になると、港は白いミストと青い光に包まれ、あちこちの水面から火柱が上がり、幻想的の風景となった。
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歩いていると、時々ミッキーやドナルドを見かけたが、私たち来訪者と同じ位置付けのようだ。雰囲気は落着いていて、孫とともにゆったりと楽しいひと時を過ごすことができた。

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2006年6月22日 (木)

寿福寺

A_dsc02393 海蔵寺をあとにして、JR横須賀線の線路に沿って鎌倉へ向け歩いて行くと、右手に英勝寺(えいしょうじ)が見えてきた。境内は太田道灌(どうかん)の屋敷跡。道灌の子孫で徳川家康の側室だったお勝の方(英勝尼・えいしょうに)が寛永13年(1636)創建したお寺であり、現存する鎌倉では唯一の尼寺だ。

その隣が寿福寺。鎌倉五山第三位の臨済宗建長寺派のお寺だ。境内を拝観できないお寺だったが、境内裏手の墓地には、大佛次郎や高浜虚子の墓地、さらにその奥には、北条政子と源実朝の墓と伝わるやぐらがあるとのことだ。

B_dsc02396_3 さらに鎌倉駅に向かって歩くと小町通りにいたる。源頼朝ゆかりの鶴岡八幡宮でお参り。
義経を慕う静御前が、源頼朝夫妻の面前で 舞を舞った舞殿は工事中だったので見ることはできなかった。

 

北鎌倉 禅の古刹と花めぐりを終わり帰路へ。

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2006年6月19日 (月)

海蔵寺

明月院を後にして鎌倉街道を鎌倉に向かい10分程歩くと亀ヶ谷(かめがやつ)切通し入口へ至る。「亀も登れないほどの急坂」ということで亀ヶ谷坂という名がついたこの切通し、現在は舗装されていて、それほど険しい坂ではない。
昔はもっと本当に急な坂だったらしい。(「切通し」とは、山を人工的に切り崩して通りやすG_dsc02357_4 くした道のこと)
峠からは一気に下る。この下り坂の方が急だ。下り切ると平坦な道になる。やがて多角形をしたお堂が現れる。岩舟(いわふね)地蔵堂である。このお堂の中には木彫りの地蔵 が祀(まつ)られている。
源頼朝の長女大姫(おおひめ)は、恋人である源義仲の長男、義高を父である頼朝に殺されてしまう。そしてそのことを知った大姫は自らも命を絶ってしまう。
地蔵は哀れな生涯を終えた大姫の守り本尊ではないかと言われている。
この地蔵堂のところで道は左右に分かれる。右にまっすぐに歩いていけば海蔵寺である。

海蔵寺は臨済宗建長寺派のお寺で、応永元年(1394)上杉氏定(うじさだ)によって創建されたお寺だ。(写真クリックで拡大
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        山門                鐘楼             海蔵寺本堂

入り口の階段をハギの木が覆い尽くている。この時季はガクアジサイ・アワモリショウマ・ショウブ・イワタバコなどたくさんの花が寺内で楽しめた。
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      ガクアジサイ        アワモリショウマ         山門脇のハギ

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       ショウブ             アジサイ            イワタバコ

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弘法大師ゆかりの「十六の井」はお寺からちょっとだけ離れた場所にある。洞穴の中にポコポコと4列ずつ16個のくぼみが並んでいて、清水をたたえている。

      

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2006年6月17日 (土)

明月院

境内には約2500株が植えられて、別名、紫陽花寺とも呼ばれている。
八割から九割が日本古来からの品種の「姫あじさい」で、空や海の色のように淡い青から、深い青に日ごとに濃くなっていくとのこと。明月院では意図的に青色を中心にしているそうです。

山門へと続く、鎌倉石の参道、この両脇にあじさいが咲き乱れる...
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総門を入り左の参堂を進むと、道の突き当たり左に北条時頼の墓所がある。
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本堂の’方丈’に着くと、有名な丸窓前には大勢の人...丸窓ごしに見た菖蒲園
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さらに奥に入ったところにある宗猷堂(開山堂・そうゆうどう)。堂内には明月院を開山した密室守厳禅師の木造が安置されている。
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明月院の参道奥の岩肌にも「イワタバコ」が咲いていた。

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2006年6月16日 (金)

東慶寺

鎌倉街道沿いの東慶寺は現在は男僧の寺であるが、明治36年までは代々尼寺であった。後醍醐天皇の皇女用堂尼が5世住持として入寺してから当寺は地名をとって「松ヶ岡御所」と称せられ、格式の高さを誇った。

東慶寺は江戸時代、夫と縁が切りたい女性が駆け込み当寺で3年の間修行した。その後に離婚が認められるという幕府公認の「縁切寺」「駆け込み寺」として多くの女性が東慶寺を目指したという。
(写真をクリックすると拡大)
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山門                    茅葺きの鐘楼

境内にはアジサイ、ショウブが、参道脇の岸壁には「イワタバコ」のなどの花が美しい姿を見せている。
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         イワタバコ                   境内のショウブ

また、参道奥の墓地は西田幾多郎、鈴木大拙、高見順ら多くの文人が眠っている。

続きを読む "東慶寺"

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2006年6月15日 (木)

浄智寺

梅雨空の中、北鎌倉の古刹を訪れた。

浄智寺が建立された13世紀の終わりごろは、北条氏の勢力が極めて盛大で禅宗が栄えた時期であった。戦国時代以降、鎌倉の寺院の多くも次第にその繁栄ぶりを失い、更に大正12年の関東大震災でほとんど倒壊した。
現在は三門や二階に鐘をさげた楼門や新しい仏殿の曇華殿などが伽藍を形造っている。
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鎌倉街道を折れ、少し進むとすぐに、小さな門が見えた。「寶所在近」と書かれた額の掛かった総門が建っていた。

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参道入口の「甘露の井」とガクアジサイ

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二階に鐘楼のある構造。ここには「山居幽勝(さんきょゆうしょう)」の額がある。銅鐘は1340年に作られた古いものだとか。

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曇華殿(どんげでん)と呼ばれ中には室町時代に作られたという、「三世仏座像」(阿弥陀仏、釈迦如来、弥勒菩薩)が安置されていた。夫々「過去・現在・未来」を意味しているという。

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2006年4月19日 (水)

仁和寺

仁和寺は、御室御所跡として史跡に指定され、広大の境内に国宝・重文を多く有し、御室の地特有の御室桜でよく知られている。
また、御室より山を一つ越えた洛北原谷の地には
枝垂桜で知れた原谷苑がある。

仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年死去した。
遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、当寺には「御室御所」の別称がある。なお、「御室」の旧地には現在、「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建つ。
仁和寺はその後も皇族や貴族の保護を受け、明治時代に至るまで、皇子や皇族が歴代の住職を務めた。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)より引用

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宸殿は御室御所跡を代表する建物
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  (南庭から望む宸殿)    (北側から望む宸殿)     (北西から望む宸殿)
 

宸殿南庭からの勅使門と二王門
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          (南庭の景)              (左近の桜と勅使門)

宸殿の北東の重要文化財 
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重要文化財の五重塔、朱も鮮やかな中門が目に入る。 そして仁和寺に二つある茶室の一つ「飛濤亭」が見える。

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2006年4月16日 (日)

枝垂桜

金閣寺の北の大文字山の西に、原谷という谷間の集落がある。ここに知る人ぞ知る枝垂桜の隠れ里がある。原谷苑という個人所有の山で、桜の時期だけ公開されるそうである。
見ごろを迎えた苑内は降り注ぐ桜、桜、桜 で素晴らしかった。
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2006年4月14日 (金)

御室桜

京の春の最後を飾る桜として、親しまれている御室桜を見に仁和寺を訪れた。
御室桜の開花はいま少し先のようだが、他の桜は満開で楽しむことができた。
境内は国宝の建造物と桜の花が古都特有の春の風情を醸しだしていた。
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二王門を抜けまっすぐ参道を進み朱色の鮮やかな中門にA_dsc01912 B_dsc01908

中門を入ると御室桜(別名・・・お多福桜)が出迎えてくれた
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気品ある姿の国宝 金堂
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重要文化財の五重塔や鐘楼に風情をそえる桜
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御影堂中門と御影堂
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2005年11月25日 (金)

京都の秋(大原の里)

今年の京都の紅葉めぐりは大原の里(三千院・実光院・宝泉院そして勝林院)を訪れてみた。
昨年に比べて、今年の京都の紅葉は赤の鮮やかさがやや不足するが、それでも息を飲むような景色も見られた。

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2005年10月 8日 (土)

四国の旅

10月6日・7日にかけて四国の秘境「祖谷渓谷」「大歩危」そして「金刀比羅宮」へ行った。
一日目は大鳴門橋を渡り吉野川の上流「大歩危」、さらに「祖谷渓谷のかずら橋」へ向かう。なかでも平家の落人がかけたとされる「かずら橋」は、踏み板の間からは祖谷川のごつごつした岩が見え、一足ごとにゆれる橋を渡るのはスリル満天だった。
二日目は月の名所と知られている「桂浜」、さらに江戸時代から庶民信仰を集めた「金刀比羅宮」へ。本宮まで785段を登り、心地よい汗をながすことができた。
初めての四国だったが、心配した雨にも降られず楽しい旅となった。写真をクリックで拡大

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          大歩危
■■■■■■■■■■■■■■祖谷渓谷のかずら橋 

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          桂浜
■■■■■■■■■■■■■■■金刀比羅本宮

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2005年6月12日 (日)

御寺 泉涌寺

毎年春と秋に京都御所の一般公開が行われるが、今回は「京都御所の特別参観」ツアーに参加して京都御所と東寺、大徳寺・本坊そして御寺 泉涌寺を訪れた。

中でも泉涌寺は、はじめて訪ねたところであり、泉涌寺総門から眺める仏殿は荘厳な感じがした。
仏殿で三尊仏を拝した後、本坊・御座所に進み、玉座の間、皇室の間、門跡の間、女官の間などを見学。

それぞれの間には、由緒ある屏風絵や襖絵、また外に目をやれば庭園や石庭が初夏の彩をそえていた。
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2005年5月27日 (金)

箱根路散策

新緑のまぶしい箱根路を散策してきた。

15年前、息子の高校進学祝いを兼ね箱根を訪れたときとは比べものにならない程俗化されていた。
箱根の町は新しい道ができ、モダンな土産物屋が並び昔の面影はなくなってしまった。
中でも、再建途中の関所など首をかしげてしまう。こんなものいるのかな???

そんんななか、心を癒してくれたのは、日本の湿原地帯を彩る代表的植物を一堂に集めた湿生花園、熱い水蒸気と硫気を噴出している大涌谷、美しい芦ノ湖、今なお残る箱根旧街道の杉並木だった。
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2005年4月19日 (火)

高遠コヒガンザクラ

好天に恵まれた4月18日、4年前に一度訪れた高遠城址公園に再度行ってきました。前回は桜のつぼみしか見れなかったが、今回は高遠役場のHPを毎日確認し開花情況をチェックし、ツアーを申し込んだかいがあって満開のタカトウコヒガンザクラの美しさを堪能できました。CSC00057

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2005年4月 8日 (金)

姫路城

2005年4月7日。やっと開いた桜の花に誘われて国宝「姫路城」に行ってきました。
多くの建物が、江戸時代初期に造営されたままの美しい姿を、今日も残しているとのこと。その壮麗な姿は見ごたえのあるものでした。何時までも大切に保存したいものです。
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2005年2月17日 (木)

伊豆の梅

2005年2月中旬、あいにくの冷たい雨の中、紅白梅約3000本あると言う修善寺自然公園と樹齢約100年の梅が園内に700本程の熱海梅園、そして湯河原の幕山公園の山麓に約4000本程咲く梅を観にいってきました。
修善寺はほぼ満開、熱海は早咲きの梅は終わり通常の梅が、そして湯河原の梅はまだ5分咲き程度でしたが、雨の中にけむる梅も素敵なものでした。

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2004年12月 6日 (月)

2004年の紅葉(京都)

京都の紅葉は格別に美しい・・・
そのなかでも永観堂、真如堂、東福寺そして醍醐寺の紅葉は
観る者に感動と安らぎを与えてくれます。

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2004年11月27日 (土)

2004年の紅葉(奥大井)

11月22日、初めての奥大井の紅葉を観に行ってきました。
お誘いをうけ、に大井川鉄道乗車。一路井川湖へ。
好天に恵まれ千頭から井川湖までのトロッコ電車の車窓から
見え隠れする大井川と紅葉を観ながらの旅、心が豊かになる
思いでした。

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