2009年5月20日 (水)

特別公開

賎機山にいだかれた臨済寺、戦国時代に駿河の国を治めていた今川義元の菩提寺である。また、徳川家康が「竹千代」と呼ばれたいた幼い頃、今川義元の人質としてこの臨済寺で過ごしていたことでも知られている。
 (写真をクリックで拡大)
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5月19日は、桶狭間の戦いで織田信長に破れ、天下統一の夢が終わった今川義元の命日。この日には一般公開が行われ、昨年に続き2度目の訪問だ。

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     仁王像(吽形)           山門             仁王像(阿形)
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               座禅堂(左)と本堂(右)

本堂は、国の重要文化財に指定されており、内部は貴重な遺物が展示されていた。
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        方丈内                          方丈内
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       庭園            仏像と庭園             仏像   
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     最後の将軍慶喜の書             篤姫に育てられた家達の書


今川、徳川時代の貴重な遺物を見ながら遠く戦国の世に思いを馳せるひと時であった。

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2008年5月26日 (月)

静岡浅間神社

静岡駅の北西2Kmほど離れたところに、静岡浅間神社がある。先日、臨済寺特別公開の帰りに参拝してきた。
境内入口は、東側と南側にあり、東の入口正面に、浅間(あさま)・神部(かんべ)神社、南の入口正面には大歳御祖(おおとしみおや)神社がある。
浅間・神部・大歳御祖神社の三社をあわせて、通称、静岡浅間神社と呼ぶとのことだ。 (写真をクリックで拡大)
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   東の入口・鳥居              神門                楼門

東の入口、神門、楼門をくぐると、正面に舞殿。舞殿の後方に、大拝殿。
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            舞殿                          大拝殿

大拝殿の後方、階段の上には、浅間・神部の二棟を連結させた本殿がある。
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            左が浅間神社本殿、右が神部神社本殿()H20.3末)

境内の北側には、重要文化財の少彦名(すくなひこな)神社、少し進むと、簡素な玉鉾(たまほこ)神社。境内の南側には、見事な八千戈(やちほこ)神社と大歳御祖神社がある。
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      少彦名神社           玉鉾神社              八千戈神社
        
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   南の入口・赤鳥居            神門              大歳御祖神社

八千戈神社神社の左手には上へ延びる階段があり、山上右手奥に、ほどなく麓山(はやま)神社があらわれる。
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       賤機山に登る階段                     麓山神社(H20.3末)

社殿24棟が、国の重要文化財に指定され、まさに”東海の日光”と 呼ばれるにふさわしいたたずまいである。

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2008年5月21日 (水)

臨済寺(特別一般公開)

昨年9月末に臨済寺を訪れたが、修行寺のため拝観は方丈前までしかできなかった。
今川義元の命日5月19日が、特別一般公開となっていたので、出かけた。
 (写真をクリックで拡大)
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                  山門には特別公開 今川義元忌の案内

念願かなって、開山堂・大方丈(国の重要文化財)や庭園、また徳川家康が幼少時代学問を学んだ「竹千代手習の間」、今川義元像などを見ることができた。
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  本堂に登る鬼階段        本堂(大方丈)           座禅堂

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       開山堂          今川の軍師雪斎           開山 大休禅師
  
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    方丈内の屏風           今川義元像         家康寄進の千鳥図

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   竹千代手習の間        慶喜書の東照宮遺訓           書院


書院から回廊を登り高台の茶屋(夢想庵)へ。濡れ縁からの眺めは素晴らしかった。
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    茶屋への回廊              夢想庵               茶室


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    若い僧に説明を聞く女性                茶屋の濡れ縁からの眺め

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臨済寺に残る貴重な文化財を見ることができ、有意義なひと時を過ごすことができた。

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2008年5月14日 (水)

蓬莱橋

先日、静岡からの帰り、島田に途中下車して、蓬莱橋へ寄ってきた。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」。 かって東海道の難所とうたわ
れた大井川にかかる橋である。歩行者専用の木造橋としては、世界最長の橋と聞いていたからだ。昨年7月に台風で一部流失したが、今年3月下旬から全前面開通し、橋を渡る観光客の姿も目についた。  (写真をクリックで拡大)
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橋を渡る通行料100円は、踏み板の修繕などにあてるという。通行料と引換えに渡さ
れた資料「蓬莱橋の由来」には・・・
B_dsc01496_4 1869(明治2)年7月、最後の将軍慶喜を
護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある
牧之原を開拓し、お茶を作り始めた。
当初は大変厳しい環境の中で、筆舌にはつ
くせない苦労の連続だったが、そのかいが
あって順調となり、生活が安定するに従って
島田の方へ生活用品や食料品を買いに出
かけるようになってきた。
また、島田の方からも初倉に山林、原野の開墾のために出かけるようになったが、大
井川を小船で渡らなければならず、大変危険なことだった。
そこで、島田宿の開墾人総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し許可され、1879(明治12)年1月13日に完成した。しかし、木橋のため大井川の増水のたびに被害を受けてきたので、1965(昭和40)年4月にコンクリートの橋脚に替え、今の姿になった。
C_dsc01510_9 現在の蓬莱橋は、全長897.4m、通行幅2.7mであり、大井川の自然と一体となった木橋として全国的にも有名な所となり、1997(平成9)年12月30日「世界一の木造歩道橋」としてイギリスのギネス社に認定された。
橋の名称は、静岡藩主となった徳川亀千代(後の家達)が1870(明治3)年4月に牧之原を開拓している幕臣を奨励するために訪れ、「ここは宝の山だ。」と仰せになったのがそのいわれと伝えられている。」とある。

長い歴史を刻んできた木橋は、大井川に溶けこみ、郷愁を誘う景観である。

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2008年5月 8日 (木)

由比宿

桜エビの時季になり、由比まで出かけた。これで3度目である。先ずは薩堙峠へ。美しい富士山を眺めることができた。 (写真をクリックで拡大)
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峠から降りる途中、古い町並みを見ながら由比の町へ。
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    小池邸(国有形文化財 )                明かりの博物館

由比駅を右に見て、由比川橋を渡れば賑やかな町並みだ。しばらく歩を進めると、大正14年竣工の銀行(現清水銀行本町特別出張所)を目にした。
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         由比川橋                     清水銀行本町特別出張所

さらに進むと、昭和2年まで使われていた明治時代の郵便局舎があり、今は平野家私邸となっている。その隣にある民家は、百十数年程前に改築された平野家。江戸時代後期から幕末まで、脇本陣(饂飩屋の屋号)をつとめていた当時の、歴史的美術品や文献も所蔵しているという。隣の正雪紺屋は、江戸時代初期より続く老舗。慶安事件として知られている由比正雪の生家と言われている。
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   郵便局舎(平野家)       脇本陣(饂飩屋)              正雪紺屋

古い町並みを眺めていると、当時にタイムスリップし、しばし時の経つのを忘れてしまう。

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2008年3月28日 (金)

桜のころ(静岡浅間神社・・・)

桜の開花状況が気になる時季になった。静岡に出かけ、浅間神社境内から賤機山にかけての桜を見てきた。少し早すぎたかな・・・ (写真をクリックで拡大)
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        浅間神社、神部神社、両本殿前の石段脇に咲く枝垂れ桜

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     賤機山古墳            麓山神社         大歳御祖神社         

帰路、駿府公園によってきた。ここはほぼ満開に近く、お掘りに映える桜が美しかった。
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      お堀り             駿府公園             日本庭園

今年の桜も、まもなく満開・・・。春爛漫の季節の到来だ。

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2008年2月 8日 (金)

清見寺

東海道線が境内を横切って走る寺、清見寺をたずねた。
寺の由緒によると、この寺の始めは古く、奈良朝時代にさかのぼる。この地に東北の蝦夷に備えて清見ヶ関なる関所が設けられていた。その傍らに守護として仏堂が建立されたのが、清見寺の始まりと云う。
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        総門(『東海名區』の扁額は、朝鮮人錦谷居士筆による)

その後、鎌倉時代に禅寺として復興し、足利尊氏や今川義元の帰依をうけて繁栄した。徳川家康は今川家の人質であったとき、住職太原雪斎に師事し当寺で勉強していた。
江戸時代には徳川家の庇護を受けたほか、東海道の目の前にあることから、朝鮮通信使や琉球使の接待がここで行われたと云う。


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   釘を一本も使ってない山門            仏殿(雪斎他の木像安置)

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   大玄関(清見関の古材使用)                     大方丈

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            鐘楼                           五百羅漢

駿河湾を望む風光明媚な高台にあり、室町時代には雪舟、明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れている。
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    駿河湾の眺め       樗牛の清見寺の鐘聲   清見寺スケッチの思い出

美しい寺が、季節毎にどんな姿を見せてくれるか楽しみであり、再度じっくりと訪れたい。

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2008年1月31日 (木)

鉄舟寺

先日、静岡市清水にある、鉄舟寺に出かけた。元は、久能寺といい、明治維新の混乱のなか衰退し、廃寺となったものを、山岡鉄舟が再興した寺である。 
(写真をクリックで拡大)
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           山門                               境内の様子

鉄舟禅寺由来によると・・・
B_r0012728_3 『鉄舟寺はもと久能寺と云い、今の久能山にあって、凡そ1300年の昔、推古天皇の時、国主久能忠仁公にとって創立せられ、奈良朝の初期行基菩薩が中興せられた。
当時坊中360、衆徒1500人もあり、豪勢を誇っていた。又鎌倉時代以降の貴重な文献、仏像、仏画、納経、什器等数々の宝物が今日も寺に残されてある。
降って武田信玄が今川氏を攻略し駿河に入るに及んで久能の嶮要に築城することとなり、天正3年(今から360年前)現在の場所に移されたのである。
C_r0012723 後、武田氏は亡されたが、徳川幕府も名刹久能寺を愛護し後朱印地を賜った。世が改まり明治御一新となるや、その混乱の中で長く栄えた久能寺も次第に散乱し、住職もない廃寺となってしまったのである。
幕末の俊傑山岡鉄舟はこれを惜しみ再興を発願して、仮本堂に今川貞山師を迎えて開山とし広く寄進を募ることにした。
明治16年、鉄舟48才の時である。ところが鉄舟は明治21年7月、53才でこの世を去り鉄舟寺の完成を見ることが出来なかった。
清水の魚商芝野栄七翁は元来信仰の篤い人であったので、鉄舟の意志をつぎ、幾多の困難を乗り越えて、明治43年3月鉄舟寺の完成をはたしたのである。
本堂前富士に向かって鉄舟居士の歌碑が建ち、「晴れてよし曇りてよし不二の山もとの姿はかわらざりけり」と一しお趣をそえている。』

裏山には、観音堂があり、その前には、松尾芭蕉の「雲霧の暫時百景をつくしけり」の句碑がたっていた。
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           観音堂                        芭蕉の句碑

天気に恵まれ、観音堂から眺める富士山の眺めは素晴らしかった。
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寺の所有する貴重な文献、仏像等を見たかったが、今は盗難・放火を避け、寺には置いてないとのことだった。

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2007年12月30日 (日)

薩堙峠(さったとうげ)

暮れも押しつまった12月27日、薩堙峠からの富士山をみたくて、再び由比の町を訪れた。由比駅より一気に峠の展望台へ・・・。峠からは、広重の絵とほとんど同じ風景が広がり、素晴らしい富士の眺めであった。 (写真をクリックで拡大)
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峠から降りる途中、桜海老料理の老舗「くらさわや」に寄り、一息。ここの地区名も「倉沢」といい、その昔、東海道沿いの宿場として栄えたところ。
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     桜海老料理老舗くらさわや                    桜えびの商店

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        古い街並み                         あかりの博物館

倉沢から興津にぬける薩堙峠は、海岸から切り立った険しい山中を通る難所で、現在も昔の面影を残す街並みがのこっていた。

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2007年12月25日 (火)

久能山表参道

夏はロープウェイを使い久能山東照宮を訪ねた。今回は久能山の急斜面に作られたつづら折り1159段の表参道を登った。途中眼下には、久能海岸に広がる石垣いちごのビニールハウスや穏やな駿河湾を眺望できた。 (写真をクリックで拡大)
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  表参道一の鳥居         つづら折の石段           駿河湾

石段を登りきると、かつて武田信玄の築いた久能山城の大手門であった一ノ門が現れた。門をくぐると、江戸時代久能山の門を守る与力がいた番所、門衛所が復元解体修理され保存されいた。さらに進むと、信玄が、軍師山本勘介に掘らせたと伝えられる勘介井戸が見られた。
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     一ノ門              門衛所           勘介井戸

久能山城は天正10年(1582)、武田氏滅亡後は徳川家康の持ち城となり、元和2年(1616年)に家康が駿府城で息を引き取ると、その遺言によって久能山城を廃して、新たに東照宮の神殿と墓を建造した。

先回、見れなかった楼門は改修を終えていた。
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           楼門(表)                        楼門(裏)   

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   楼門の随身像            楼門の随身像           五重の塔跡

楼門の奥、参道左手に五重塔跡。3代将軍家光公の命により建立され、高さ約30Mあったという 五重塔は輪奐の美を極めたものといわれているが、明治6年に取払われ、現在は在りし日を偲ぶ礎、敷石を元のまま 残すのみであった。

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2007年10月 5日 (金)

静岡 臨済寺

家康が最初に駿府の地に入ったのは、8歳(竹千代)のとき。駿府の今川義元に人質として預けられた。その人質生活を送ったのが、賤機山の麓にたたずむ臨済寺だ。竹千代は、今川家の軍師でもあった住職の太原雪斉に教えを受け、思慮深い若者へと成長した。 (写真をクリックで拡大)
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         山門(仁王門)                        仁王像

山門前の説明には
臨済寺は、今川義元の兄氏輝の菩提寺で、義元の軍師太原雪斉長老が、師の大休禅師を迎え開山した。雪斉は、今川義元の執権職として、帷幕(軍議する場所)に縦横の機智を振るった人である。義元が、駿、遠、三の太守として東海に勇を振るったのも、雪斉の力によるところ大で、この時代がまた、今川家の最盛期でもあった。
徳川家康は、竹千代時代の天文18年(1549年)8歳の時から、今川家の人質としての12年間、この太原雪斉から文武両道を学んだのである。後年、家康が天下を治め徳川300年の基礎をつくった素地は、この幼年時代に培われたといえる。
雪斉は弘治元年(1555年)10月10日、60歳でこの世を去った。雪斉の没後5年の永禄3年5月、桶狭間の合戦で義元が敗死すると、今川家の勢力は急激に衰えやがて滅亡する。今川家は雪斉によって興り雪斉を失って衰亡したといえる。
境内墓地の最上段には、氏輝公と雪斉長老の墓がある。
主な文化財 庭  園(国の指定名園)
            大方丈 (国の重要文化財)

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     本堂に登る鬼階段と鐘楼                    本堂(方丈)

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     平成9年完成の新仏殿                    境内からの山門

歴史的由緒ある臨済寺を訪れたのは9月末。この寺は修行寺のため、参拝は方丈前までしかできなかった。

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2007年8月28日 (火)

駿府公園

身近にありながら、訪れていなかった駿府城跡・駿府公園に出かけた。
徳川家康が築城し、江戸に移るまでの4年間と大御所時代と呼ばれる10年間を過ごした城。惜しいことに今はその美しいお城を見ることが出来ないが、平成に入り復元された「巽櫓」、「東御門」などを見ることができた。 (写真をクリックで拡大)
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        巽櫓          中堀からの東御門橋             中堀     

東御門は、駿府城ニノ丸の東に位置する主要な出入口
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     東御門(ひがしごもん)                   東御門(正門側)

巽櫓は、駿府城ニノ丸の東南角に設けられた三層ニ重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓」と呼ばれた。
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       巽櫓(たつみやぐら)                   巽櫓南門(正門) 

本丸跡の家康公の銅像、その横には家康公お手植えのみかんの木
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    本丸跡の徳川家康公銅像            家康公お手植えのみかんの木

公園内には、大御所家康公駿府城入城四百年祭のノボリが、あちらこちらにひらめいていた。(徳川家康公が大御所として駿府城に入城された1607年から四百年となる)

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2007年7月 1日 (日)

久能山東照宮

久能山山頂にある東照宮へ出かけた。
未だ修復工事中の楼門をくぐると、正面に島居が立ち、石段上に唐門がある。参道右手には、鼓楼神楽殿神庫がある。 (写真をクリックで拡大)
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          境内の島居                       唐門

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        鼓楼             神楽殿             神庫 

参道を左に折れ、階段を登ると、日枝神社。もとは薬師如来像が安置されていたが、明治三年神仏分離により日枝神社と改められたもの。日枝神社から東門を入り社殿へ。
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        日枝神社              東門                 透塀

かねてより実施していた社殿の大改修が完成し、約400年の時を経る創建当時の極彩色が今の世に鮮やかに甦っていた。
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       本殿                拝殿             本殿 

本殿の裏手の廟門をくぐり、石段を上がり、家康公の神廟(家康公の墓所)を参拝。
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       廟門             神廟に向かう参道       神廟(家康公の墓所)

死してなお、諸大名に睨みを利かそうと、家康が選んだ永眠の地をおもいながら帰路についた。

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2007年5月17日 (木)

由比

A_dsc05128_2B_dsc05124_2海と山に狭まれた海岸沿いの小  さな町、由比に出かけ た。5月は桜えび漁の盛んな時期で、桜えびの料理を目当ての観光客が多かった。先ず、JR由比駅の西側の薩堙峠へ登った。駿河湾を眼下に枇杷の木がいっぱい。海岸沿には、JR東海道線、国道一号線、東名高速が狭いスペースにひしめいていた。 (写真をクリックで拡大)

薩堙峠を下り、由比駅の東側をしばらく行き、由比本陣公園へ。公園内には、芝生庭園、東海道広重美術館御幸亭があり、本陣跡の表門、物見櫓、木塀などが復元されていた。「東海道広重美術館」には安藤広重の「東海道五拾三次之内」など貴重な版画などが展示されていた。
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      本陣跡の表門            物見櫓            木塀・石垣     

御幸亭」は明治天皇が行幸のおり、小休止された離れ座敷を復元したもの。
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            御幸亭                  御幸亭内からの眺め

本陣公園前には正雪紺屋の店がある。この紺屋は江戸時代から400年続いているといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶等の染物道具が残り、昔の紺屋の面影を偲ぶことができた。慶安事件で有名な由比正雪はこの紺屋の生まれということで、正雪紺屋の屋号がつけられたという。
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          正雪紺屋の店               店内の藍瓶等の染物道具

薩堙峠からの、素晴らしい富士山を見に再度訪れたいと思っている。

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