燃えるような紅葉
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秋葉山本宮秋葉神社には、二つの神門がある。東には、江戸時代の面影を残す入母屋造りの神門。神仏混淆時代には「仁王門」だった門に仁王像はなく、今は「随神」が守る「随神門」。 (写真をクリックで拡大)
東の神門(随神門)
色あせているが、屋根下には彫刻の獅子飾りなどがあしらわれた豪華な造り。柱や棟木を支える獅子と天邪鬼、棟木の上を飾る天女の彫刻。諏訪三郎が刻んだと伝えられる彫刻だ。
獅子飾り 獅子と天邪鬼 天女の彫刻
西には、平成17年竣工された西の神門。
ここには四神(東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武と空想上の四獣)の彫刻が取り付けられている。今年6月2日にお披露目されたばかり。
玄武 白虎
青龍 朱雀
正面に「白虎」と「玄武」、裏面に「青龍」と「朱雀」。間近で見ると、なかなかの迫力。南砺市の木彫刻師 南部白雲さんの制作とのこと。
境内には、のんびり餌を啄ばむ親子鹿、参道脇には秋の草花も・・・
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二俣城といえば、徳川家康が長男信康を自刃させた悲劇の城。今は石積みの天守台を残し、城山公園となっている。 (写真をクリックで拡大)
天守台 眼下の天竜川 真っ赤な紅葉
公園広場の周りには、もえるような鮮やかな紅葉があり、天守台の石垣を登れば眼下に天竜川を眺められる。
先日訪れた信康廟のある清瀧寺はすぐ近くだ。
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徳川家康の嫡男として二代将軍になったはずの信康は、織田信長の非情さ故、二俣城で若くして非業の最期を遂げた。21歳の若さで自刃した信康を供養するために建てられたのが信康山清瀧寺だ。 (写真をクリックで拡大)
寛文 8年建立の山門 清瀧寺本堂
山門前の説明には・・・
『当寺は、京都知恩院の末寺、本尊は阿弥陀如来。天正7年(1579)9月15日岡崎次郎信康(徳川家康嫡男)が二俣城において生涯。時に年21歳。遺骸を当寺に葬り、法名を騰雲院殿前三州達岩善通大善定門といいます。
天正9年徳川家康は、当寺に来臨し、清水の湧き出るのを見て、寺名を清瀧寺と名付け、信康に清瀧寺殿と諡をしました。
ここには信康の他に殉死した吉良於初、当寺の二俣城主大久保忠世、三方原で討死した中根平左衛門正照、青木又四郎吉継らの墓もあります。』と記してある。
信康廟前の石段 信康廟入口
たまたま、居合わせた見学グループと一緒に信康廟の内を参拝することができた。
清瀧寺の山門前には二俣城が廃城となったのち、清瀧寺に移築された井戸櫓、寺名の由来となった葵の滝などがある。
井戸櫓 葵の滝 旧二俣町役場(昭和11年建)
いかに非常な戦国時代とはいえ、自らの手でわが子を葬り去った家康の心中はいかばかりであっただろうか・・・
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秋葉山には、秋葉神社と秋葉寺とがある。
明治以前は秋葉大権現として秋葉社と秋葉寺の両方が存在する両部神道であった。
しかし、明治初年の神仏分離により秋葉神社の別当・秋葉寺は廃寺となったが、信徒の強い要望によって、明治13年再建された。現在は、秋葉神社上社は秋葉山の山頂にあり、曹洞宗の秋葉寺は秋葉山の中腹の杉平にある。 (写真をクリックで拡大)
秋葉寺山門 火渡りの準備のできた秋葉寺境内
秋葉寺から1km程上にある随神門は、昭和18年の大火では幸いにも消失を免れた。
神門は、鮮やかな朱泥が塗られ、また、屋根下には精巧な彫刻をほどこされ、江戸末期の秋葉山全盛期の面影を伝える唯一の建物と なっている。
随神門 神門内の彫刻 神門内
秋葉神社参道の随神門は真新しい(平成17年完成)
参道からの随神門 新しい随神門 参道脇の鹿
神社神楽殿では巫女の舞が見られ、山頂からは天竜川・遠州灘が一望できた。
神楽殿の舞 天竜川・遠州灘
訪れた12月15日と16日両夜には秋葉寺で、また16日には秋葉神社で火渡りの儀式が催された。
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秋葉神社上社は、標高885mの山頂にあり、秋葉神社の総本社格である神社だ。
西鹿島駅から上社へ、10月から1月まで、日曜日に一往復バスが運行される(特定の日は2往復ある)。このバスを利用し、初めて訪れた。 (写真をクリックで拡大)
大鳥居 参道 参道(階段)
駐車場から頂上までは、常夜灯がある階段の道と坂道があった。しばらく行くと、立派な神門が見えた。神門は神社および秋葉山の杉材を使用し、4年掛け完成したと云う。
常夜灯 神門
さらに石段を上ると本殿前に出た。天気が良ければ、浜名湖や、太平洋の遠州灘を一望することができたのに・・・・・。
金色の鳥居 本殿 本殿下方の神楽殿
秋葉山の頂には金色の鳥居と、一段高い石垣の上に本殿が建っていた。しかし、大きなコンクリート造りの建物だったので、いささか風情がないように思われた。
本殿の下方に建つ素木の神楽殿は12月16日夜、「防火祭」で古式豊かに営まれる三舞の神事の舞台となるところだ。また、ジュビロ磐田の必勝祈願の大きな絵馬が飾ってあった。
本殿脇の「東海自然歩道」を少し下ると、昭和18年、秋葉神社の大火で、唯一消失を免れた随神門があった。(江戸時代の建築物)
大火を免れた随神門 随神門
参道の脇には、色々な山野草が咲いていた。
秋が深まる頃は、参拝する人と、紅葉を見に来る人で、賑うことだろう。
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先日、秋葉山信仰の根源でもある、秋葉山本宮 秋葉神社・下社に行ってきた。30年ほど前にも訪れたことがあるが、当時は秋葉山山頂の上社は火災後の復興の最中であったので下社が秋葉神社のメインであった。その後復興され、参拝が出来るようになった。
下社は気田川の清流を臨む秋葉山の麓に臨み、いたって地味な規模の小さな境内であった。でも、上社に比べバスも通っていて、訪れやすいところだ。平日にも関わらず、幾人かの人達が参拝している姿もみられた。 (写真をクリックで拡大)
境内入口 参道階段
境内 社殿
近くの馬込川の橋の袂に秋葉山常夜灯がある。また、
氏神様の境内にも燈籠の形状をした常夜灯がある。旧浜松市内には100から200もの秋葉山常夜灯が残っていると云う。秋葉山に対する庶民の信仰が江戸時代に盛んになり、秋葉山へ参詣する人々が多かったことがわかる。常夜燈は秋葉山に参詣するための街道沿いにあるものばかりでなく、人々が火伏せの神への信仰や地域内の安全を願って建てられたものも数多くあり、今も地域の人々によって守られてる。
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)、山頂(上社)が山火事で山門を除く建物全てを焼失したため、秋葉神社は一時は廃社も同然となった。しかし、1986年(昭和61年)に社殿が再建され、相前後して山頂に通じる車道の整備も成ったため、ここに名実共に秋葉山本宮秋葉神社として再興を果たした。
10月からは1月までの毎日曜日には秋葉山山頂の上社一往復のバスが運行されるので、参拝しようと思っている。
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