2011年7月12日 (火)

高野山奥の院-2

「金の川」に架かる「中の橋」から、御廟川に向かう参道は無数の石塔が並ぶ。

参道に並ぶ歴史的人物の供養塔(五輪塔)を見ているとタイムスリップしたよう。
 (写真をクリックで拡大)
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                      杉木立に囲まれた参道
中の橋を渡り、すぐのところに芭蕉の句碑が目にとまった。
   「父母のしきりに恋し雉の声」
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                                芭蕉の句碑
崇源夫人五輪石塔(県指定 史跡)
奥の院最大の五輪塔は徳川2代将軍秀忠の正室・お江のもの、崇源院の供養塔。通称、一番石と呼ばれている。徳川忠長が母である崇源院の追善供養のために、1627年(寛永4)に建立した供養塔という。
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松平秀康及び同母霊屋(重要文化財建物・世界遺産)
向かって右が越前松平初代当主である松平秀康を祀る霊屋で、西暦1607年(慶長12年)に二代当主忠直によって建立された。左側は秀康自身が母公を祀るために西暦1604年(慶長9年)に建立されたもの。
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豊臣家墓所(県指定墓所)・織田信長墓所
この墓所の正面には、豊臣秀吉とその母、秀吉の弟である大納言秀長と夫人などの豊臣一族の墓。近くには、本能寺の変で遺体すら発見されなかった信長の墓所も・・・F1_dsc01182 F2_dsc01187

御廟橋より先は撮影禁止。この先には弘法大師の霊廟がある。
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                           御廟川

 

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2011年7月 8日 (金)

高野山奥の院-1

高野山の旅の終わりは、聖なる地、霊場と呼ばれる、弘法大師の御廟のある奥の院を訪ねた。

奥の院は川と橋の三重構成になっている。一番初めの橋は街中を流れる「おどり川」に架かる「一の橋」、次は「金の川」に架かる「中の橋」、一番奥の御廟川にかかるのは「御廟橋」と呼ばれている。
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     おどり川に架かる一の橋            弘法大師御廟に向かう参道

先ず、「一の橋」から奥の院参道を中の橋までの参道に並ぶ、歴史上の人物の供養塔をたずねた。

武田信玄・勝頼墓所(県指定史跡)
武田信玄は、好敵手上杉謙信とともに乱世に生きた戦国武将。向かって左が武田信玄、右がその子武田勝頼供養塔。
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上杉謙信霊屋(重要文化財建造物・世界遺産)
上杉謙信、景勝の廟墓。謙信は生前、高野山を2度訪れている。「謙信」の名は高野山の僧に授けられたもの。建物は、江戸初期頃の建立と推測されている。
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井伊掃部頭の供養塔
井伊掃部頭は、彦根藩の藩政を努めた後に、一躍大老にとりたてられたが、江戸幕府最後の時期と重なり、その反動的な行政は著しく当時の人々から反感をかい、遂に1860年に江戸城桜田門外で水戸の浪士の闇討ちに遭って、殺された。井伊掃部頭の供養塔の両脇には、井伊家一族の供養塔が多く建てられている。
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中の橋を渡るとすぐ汗かき地蔵がある。
汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受け、そのため汗を汗を流しているといわれている。
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                           中の橋
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        中の橋            汗かき地蔵         樹木の中の地蔵尊
 

 

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2011年6月12日 (日)

伽藍を訪ねて

伽藍とは、僧侶が集い修行をする閑静清浄な所を意味するという。

816年、朝廷より高野山の地を真言密教の修禅の地として賜った弘法大使は、この伽藍地域に寺院の建設を始めた。人里離れた地のため建設は難航。先ず西部の小高い台地に壇上伽藍から始め、金堂、大塔、西塔、僧坊等の建立に心血を注いだ。
 (写真をクリックすると拡大)
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                   伽藍堂塔配置
金剛峯寺から東塔東側付近までのびる小道「蛇腹路」を過ぎると伽藍地域となる。
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        蛇腹路              東塔               三昧堂
大塔は、816年から50年かけ、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立された。現在の建物は昭和12年再建されたもの。金堂は高野山の総本堂で年中行事の大半がここで行われる。
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           根本大塔                       金堂
御影堂は、「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。高野山で最重要の聖域であり、限られた人しか堂内に入ることができない。
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        御影堂             准胝堂               孔雀堂
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        山王院             御社                鐘楼
西塔は887年、真然僧正が大塔に続いて建立。現在の塔は、天保5年に再建された。
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                       西塔

 

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2011年6月10日 (金)

高野山金剛峯寺

金剛峯寺という寺は、もとは豊臣秀吉が亡母の菩提を弔うために、この地に建立した青巌寺という寺である。
明治2年神仏分離令で、青巌寺の西にあった興山寺と合わせ金剛峰寺に改称された。それ以来、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山となった。

石畳の参道を上っていくと、金剛峯寺正門がそびえている。
(写真をクリックで拡大)
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                       金剛峯寺正門
境内に入ると正面に東西54m、南北63mの大主殿がどっしりとした構えを見せている。この寺は、大主殿の他に、別殿、新別殿など、後庭には真然大徳廟などさまざまな建物がならび、輪奐の美をなしている。
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       大主殿           大玄関と小玄関             鐘楼

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      大広間             主殿大廊下         柳の間(秀次自刃の間)
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       上壇の間                                中庭

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        奥書院      真然大徳廟(大師の甥)         台所(主殿裏)
主殿大広間前の大廊下を通り抜けると蟠龍庭に出る。蟠龍庭は石庭としてはわが国最大の庭。雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っている姿を表わしている。
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                      奥殿と蟠龍庭

 

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2011年6月 7日 (火)

高野山で泊った宿坊

宿坊天徳院は、金剛峰寺の南、高野山大学の西にあり、重要文化財の庭園を持つ。
天徳院は、加賀百万石・前田利常公夫人珠姫(徳川二代将軍秀忠の娘)の菩提を弔っている。
 (写真をクリックで拡大)
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        天徳院山門                         お堂

山門横には、前田家の剣梅鉢の御紋の入った提灯が立ち、塀には由緒をあらわす五線の白い筋が入り、高い位の寺院であることがわかる。

客室は小堀遠州作「天徳院庭園」を囲むように建っている。残念ながら庭園は非公開のため部屋から眺めるのみ。
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      玄関             奥に見える庭園       
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                    重要文化財「天徳院庭園」

朝六時半からは、本堂で行われるお勤めにも参加でき、日頃の生活とは異なる体験もできた。
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           本堂                          本堂内部

精進料理は、夕食は三の膳、朝食でも二の膳まで。高野山の旅にふさわしい料理を味わうことができた。

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2011年6月 2日 (木)

ヒメシャガ咲く寺

数千株ものヒメシャガが咲き、寺の境内を埋め 尽くしていると聞き、高野山三宝院へ。 
  (写真をクリックで拡大)
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          高野山三宝院                   境内に咲くヒメシャガ

山門に入ると小さく可憐なヒメシャガが咲き誇っていた。
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遠慮がちに咲いて・・・
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ヒメシャガ咲く庭では、ドウダンツツジ”もたくさんの赤い花をつけていた。
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一時絶滅寸前だったヒメシャガを、住職が裏山に自生する10株を境内に移植。今では境内を埋め 尽くす様になったという。

 

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2011年6月 1日 (水)

高野山の入口「女人堂」

小雨降る中、高野山を旅してきた。
三十年前。小学生の子供たちを連れ訪れたことがある。
2度目の旅は、徳川家霊台、金剛峰寺、檀上伽藍、奥ノ院などの地区をまわった。

高野山駅前から南海りんかんバスに乗ると最初のバス停が女人堂前。
明治5年まで女人禁止であった高野山へはここより山内に入ることができず、女人道を通って大師御廟へお参りをしたという。
かっては山内に入る七ツの入口にそれぞれ女人堂が建っていたが、今は不動坂にあるこの一つだけが現存する建物。
 (写真をクリックで拡大)
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                           女人堂

女人堂前から坂道を10分ほど下ると、少し奥まったところに、徳川家霊台と呼ばれる重要文化財がある。
このあたりは、昔、高野山の聖方の本寺にあたる大徳院という寺があったという。その裏山に、徳川三代将軍家光が創建した2棟の御霊屋がある。
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正面の石段を登ると、その上にさらに2棟の小さな堂が建っている。向かって右が家康霊屋、左が秀忠霊屋。
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                徳川家康と秀忠を祀る東照宮(徳川家霊台)

こじんまりした霊廟建築。細部にいたるまで彫刻や飾り金具で技巧をこらした装飾が施されている。建造に10年の歳月をかけて、寛永20年(1643)に落成したとのこと。
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            家康霊屋                  家康を祀った薬師堂
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           秀忠霊屋                 秀忠の位牌を納めた位牌堂

両堂はそれぞれ透塀で囲まれている。その透塀を透して、外装の見事さを味わうことができた。

 

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2010年11月22日 (月)

眩い延暦寺の紅葉

瑠璃光寺の拝観のあと、比叡山延暦寺東塔へ。
比叡山は東塔、西塔、横川と3つの地域に分かれ、これらを総称して延暦寺と呼ぶ。織田信長の焼き討ちにあい消失したが、秀吉や徳川家により再建され、世界文化遺産に指定されている。

今回は東塔の参拝。東塔の中心は延暦寺の総本堂「根本中堂」。
 (写真をクリックで拡大)
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   根本中堂に下りる階段右手の紅葉            大黒堂横の紅葉

根本中堂には1200年間守り継がれた「不滅の法灯」が仄かに灯っていた。
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                       根本中堂(国宝)

根本中堂正面の急な石段を上ると文殊楼が・・・
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                                       文殊楼
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            大講堂                        鐘楼
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 阿弥陀堂への参道                     阿弥陀堂

澄み切った晩秋の空の下、眩いばかりの紅葉を楽しむ事が出来た。

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2010年11月20日 (土)

七色のモミジ彩る瑠璃光院

京都洛北、八瀬の地は平安時代の昔より、貴族や武士に愛された保養地だという。その八瀬の高野川ほとりに、ひっそりたたずむ瑠璃光院。

幕末の三条実美公ゆかりの瑠璃光院は、めったに見られないところ。秋の特別公開に合わせ訪れた。  (写真をクリックで拡大)
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         瑠璃光院の門                   石橋から玄関へ

茶庵「喜鶴亭」の前に広がるのは、「臥龍の庭」。今、まさに天に駆け昇ろうとする龍が水と石で躍動的に表現され、紅葉が華やかさを添えていた。
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                        臥龍の庭

もうひとつの庭園「瑠璃の庭」は、苔の絨毯で覆われ、その間を縫うようにして、せせらぎが優美な曲線を描く。
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       苔の覆われた瑠璃の庭

その上には、七色のモミジが覆いかぶさり、錦糸の世界がひろがる。
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                   覆いかぶさる七色のモミジ

書院を飾る屏風、日本式蒸し風呂の原型、「八瀬のかま風呂」等が見れた。
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             屏風                   八瀬のかま風呂

瑠璃光院に至る高野川沿いには、赤や黄色のモミジが・・・
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2009年12月 1日 (火)

晩秋の彦根城

湖北の紅葉散策の最後は、紅葉真っ盛りの彦根城。
名勝玄宮園から仰ぎみる天守は400年前の姿をとどめる名城。
(写真をクリックで拡大)
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                   玄宮園から見る彦根城

登城道を登り、廊下橋の下から天秤櫓へ・・・

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廊下橋(牛蒡積みの石垣)        天秤櫓           天秤櫓からの眺め
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          牛蒡積みの石垣の上にそびえる三層三階の天守閣

天守から西の丸へ・・・
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    西の丸三重櫓          三重櫓内部          三重櫓からの眺め
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                    西の丸のイロハモミジは真っ紅

内堀を行きかう屋形船に黒鳥がよりそう・・・
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名勝・玄宮楽々園
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      臨池閣              鳳翔台            龍臥橋

秋の日暮は早く、玄宮園を後にする頃はすっかり暗くなっていた。

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